厚生労働省

ヤングケアラーについて理解を深める

シンポジウム 

オンライン出席しました

 

 

 

 

ヤングケアラー

家族の世話や介護などに追われる「ヤングケアラー」と呼ばれる子どもたち

 

国の実態調査で

中学生のおよそ17人に1人に及ぶことが

ニュースで取り上げられる昨今

 

注目したのは

ヤングケアラーと言われる

家事や介護をしている子供たちの存在だけでなく

「相談したことがない」

という回答が6割

理由は

「誰かに相談するほどの悩みではないから」

「相談しても状況が変わるとは思わない」

が多かったとのこと

 

昭和の生まれ育ちのわたくしですが

家族のケア

例というと

仕事で忙しい祖母の自宅での介護は

わたしがしておりましたが

「そんなもんだ」

と思っていたのが事実ですが

 

家庭内で 家族ができるケアは

家族の結束というか 家族できることはする

というのが その昔でしたが

 

こどもらしさ

が 失うことがあるのは問題である

というのが

ヤングケアラー問題

 

 

 

今日のシンポジウムでは

ヤングケアラー当事者や支援団体

厚生労働省からもお話を伺う機会がございまして

令和の時代のヤングケアラーという課題を直面させていただきました

 

当事者の実体験や

サポートする立場のお話は

実に興味深いものがありましたが

 

その中で

こんなお話がありました

 

「人は知らないことに 距離を置きたがる」

 

なるほど

 

わたしもそんな経験がありますが

知らないことほど 無知な自分を見たくないので

放置してしまうことはあると思います

 

が これが問題を深める

知らないことを知ることで

なにか社会に役立つこともあると思います

 

知らぬが仏という

ことわざがございますが

知らないことが平穏なのかということです

 

共生社会といえど

知らぬが仏ではなく

助け合いと言う意味では

まずは 知る ということが必要なのかもしれません

 

知ると

自分の中から悲しみや苦しみや

憤りを感じることもありますが

実態を知ることから

どこか共感というのは湧き出てくるのではないだろうか

 

こどもらしさとは

 

あそぶこと

まなぶこと

あまえること

 

という定義がシンポジウムでできましたが

 

甘える = 頼る

 

頼ればいいじゃん

という簡単なことではなく

頼りやすい環境づくりなんだと思う

 

家族内のこと

なかなか 外に話をできないこともある

わたしもそうだった

祖母の介護は家族内のことであり

他者に助けを求めるものではない

と言う思い込み

 

がこれが

こどもらしさということを失うことでもある

 

大人になっても

それが足かせになることもあるだろう

 

ヤングケアラー問題は実に深い

 

サポート体制もさながら

橋渡し役の強化は私も共感できるところ

 

シンポジウムはYouTubeで

その後もアップされておりますので

ご興味ある方はぜひご視聴ください