優しさと勇気の育て方

水谷 修

 

 

 

どうして 「いじめ」 は

なくならないんだろう?

 

と考えたことありませんか?

 

新聞やニュースで

子供の「自殺」という言葉を

目にする耳にするたびに ドキッとします

 

選挙中も 福井県の中2男子の自殺

「叱責ではなく教員による陰険なイジメだった」

という親御さんの見解

(学校側は厳しい指導があったと仰ってますが)

 

いじめにも 「やり方」

いろいろありますが

 

無意識でやってる場合がほとんどだと思います

 

つまり

自分はいじめている意識がなくやっている

ということ

 

残念ながら

わたしたちは 差別という違いを見つけるのが

すごい得意です

 

自分と違う部分を探しては

同じじゃないからダメだ

 

もしくは 集団意識が良い感じに高まることは

力を合わせて なにかを作り上げるという

素晴らしい表現にもつながるのですが

 

悪い方向性に向かうと

あいつは違うからダメだ

俺らと一緒じゃないと いじめられるぞ(あぶないぞ)

という 本人は注意しているつもりですが

それは いじめに加担してるも同然のことでして

相手に 自分の仲間に入らないといけないという

【恐れ】を与えてしまっていることです

 

↑これも無意識でやっています

 

いじめは 無意識

 

正義や正しさの押し売りは時に

刃物になる場合があります

 

気づかないといけない

特に大人たちが

 

SNS上での ネットいじめについて

数年前 アメリカの14歳の女の子が

ネットいじめ防止策のスピーチをしました

 

自分が無意識に書いてしまった場合

アップロードする前に

 

「それ 本当に投稿していいですか?」

という警告文がアップされるシステムを作ろうと

呼びかけました

 

それで 93%の屈辱的なコメントが減ったそうです

 

立ち止まる

 

これ 大事なことです

 

わたしたちは人間ですので

感情的な思いや 衝動的になるときもありますが

いづれも 無意識ですが

 

「それ 本当にやっていいことなの?」

という 警告

立ち止まって自分のやろうとしていることを見てみる

 

そこには

思いやりや優しさがありますか?

 

もしかすると

自分は

思いやりや優しさをかけてもらえてないから

こんなことを相手にするのかもしれない

 

自分と同じ集団でいてほしいという思いがあるから

「恐れを与える」やり方でしか

相手に伝えられていないのかも

 

気づく必要がある

 

誰でも

個々に考えや思いが違うワケで

(当たり前ですが)

それを互いに認め合うのが健全な集団だと思う

 

無理矢理 同調させようとするのは なぜか

 

いじめは そこを大人たちが

立ち止まって考えないといけない

 

思いやりがないと

相手は話も聞いてくれない

受け入れてくれない

 

思いやりがなく 恐れを与えられたら

話聞きたいですか?

心から受け入れられますか?

 

自分に置きかえて考えるといいかもしれません

 

優しさと思いやりのある人は

恐れにも屈しない強い人

 

恐れを与える人は

逆に恐れに弱い人

 

かつて わたしもそうだった・・・

反省しながら

まず自分を変えないと いじめはなくならない

(大人たちがね)

 

優しさと勇気の育て方

 

水谷 修さんの本に書いてあります