言葉にできるは

武器になる

梅田 悟司

 

 

 

ここんところ

 

「言葉の力」について

考えさせられることあります

 

例えば 選挙カーのウグイスさん

定番のフレーズを

何度も 耳にししてきたと思います

 

皆様に立候補のご挨拶とご支援の

お願いに参りました

 

地元の皆様のご支援を

どうか宜しくお願い申しあげます

 

皆様に最後のお願いに参りました
どうか皆さんのお力を○○にお貸しください

↑ウグイスあるある

※すいません ウグイス経験者です

 

ありきたりの差しさわりのない言葉を選ぶ

 

思考が優先です

思考とは 上辺の表現ですので

平均的に誰もが そんなもんだろ と

思うような言葉使いになります

 

 

これが ホントに伝わっているのだろうか

と思うことあったんですね

 

もちろん ウグイスでマイクを握る時だけでなく

日常も 議会でも なにかを伝えたい時にです

 

例えば

他者と話をしている時

ホントは 内心 違うな 嫌だなと思っていても

黙って頷いたり 同調するフリをするときあります

(嫌われたくない いい人だと思われたい心理で)

 

NO と言いたいが言えない時あるんです

 

それは 思考がさせます

これを エゴと言うんですけどね

 

わたしは どのようにするかというと

NO とは ダイレクトに言わず

「違和感を感じます」

と 申し上げます

 

違和感 = しっくりこない

@国語辞典より

 

違和感を感じている

と 逆に言われると

相手は 立ち止まり はて?と考えますよね

 

これが 議論なんです

 

一方的しているつもりはないのに

一方的に受け取ってしまう場合もある

 

思考の声は相手に実は伝わりにくいんですね

 

では どうしたらいいのか

 

それは

内側の声

所謂 本音をどこまで

相手に失礼ではなく不機嫌にさせないように

考えていただけるように

お伝えするかどうか

 

 

だんまりこむ・・・

というのは こういうことだったりします

あらかじめ 用意された原稿を読むとは

考えていないことだということです

 

真剣に向き合い考えるからこそ

議論が生まれる

 

ウグイス経験においても

今回は 知恵を絞り考えて考えてやりました

(地域によって変えたり)

 

なぜ お願いなのか

 

「お願いします」

と言われると

 

で? 何を?

 

になりませんか

 

選挙だから わかっているだろう!

 

ではなく 有権者には それは失礼

 

なぜ お願いなのか

何を 候補者は意図しているのか

 

それが 先 ではないかと思う

 

 

言葉は武器になります

 

それは ありきたりの表面上のおべんちゃらな

言葉ではなく

心からの言葉は 言霊となって響く

 

相手の立場になって

思いやりの気持ちを深めると

また違う 言葉が出てくるんですよ

 

この経験を 自分がどこで生かしていくのか

 

次回の一般質問で

生かしていきたいと思う

 

相手に思いやりをもった質問

じゃないと受け入れてもらえませんよね

 

政治にも思いやりと優しさが

もっとあってもいいと思う

 

中央でやってる 悪口大会にはうんざりだった

これも 学ばせていただいたこと