さて昨日は飯田橋にあるふらっとカフェに行ってきました。カフェと名がついていますが、カフェではありません。
精神障害者や発達障害者向けの「生活訓練事業所」という場所になります。
 この施設の特徴は、何かのスキルを身につけて社会に出て行くというより、社会で生きるためのコミュニケーションなどのスキルを身につけようということにあるそうです(もちろんここを活用している人の特徴は千差万別なので、その人にあった生活支援をしていくので、様々なプログラムが組まれています)

 この施設は区市町村の認定を受けて、セルフプランを作り、サービスを受けるということになる施設で、この手の情報を持っていない私はこんな施設があるのかと驚いてしまいました(私は支援機関の支援って受けたことがないのです)
 まぁ何でこんな所に急に行ったかというと……。
許可はもらったのでちょっと書かせていただくと。
 私はこのふらっとカフェを運営する会社の兄弟会社で今勉強しているのですよね。毎日会計ソフトを打ち続けているというか。簿記も教えてもらっています。
 この会社の社長からこの施設の紹介を受けたのです

 社長曰く「会社(ふらっとカフェの兄弟会社)で障害者(精神)の方を雇ったり、訓練の受け入れをしているけど、定着することが課題だなぁと思って。その支援ができる会社を作った」(意訳)
 なんか、すごいなと思いました。
そういう人がいるって、私は嬉しいなぁと。

 生活支援員の方と今後のことを含めてご相談。
何が不安ですかということで、コミュニケーションや接遇が不安なことは伝えました。
 私の発達障害は、そこが問題なのですよ。
事務ってかなりのコミュニケーション能力がいると聞いていたので。

 後 経理事務という仕事は一般的に発達障害には向かないと言われていて私もちょっとどころではなく不安でした。でも数字の見落としや計算ミスは、薬で集中力を底上げ出来るようになっていてかなり解消されました。簿記の試験でも見落としを回収して、時間内でクリアが出来るようになっていました。どうも何というか……ADHDなはずなのに、数字とか文字とか言葉とかが苦にならないというか。あのノイズの入っていない感じがむしろ好きなんです。淡々と作業が進められるのがいいです。

 逆に問題は人の気持ちがわからないというか。余計なことを言っちゃったり、行動したり、叫んだりしてしまう衝動性で。
 お医者様から人間関係づくりに指導や助力が必要で、通常と違うことが起きると助けがいるという診断書が降りる始末。つまりいつ何が起きるかわからず、感情を察していかなければいけないコミュニケーションが駄目で……。
 あぁでもふらっとカフェで、訓練していた人と目を合わせて話すということが褒められて嬉しかったなぁ。
 訓練すればコミュニケーションが取れないわけじゃないんだなと思いました。
 衝動性が強くて困っているということで、そこで簡単な感情の抑え方を教えてもらったりしました。文書化された資料もあって、大助かりでした。
 そうして1時間程お話をして、次回の約束を取り付け
、その日は終わりました。

 もうすぐ仕事が始まるので、ちゃんと仕事をし続けていきたいので、こういう支援機関があるのはすごく助かります。こういう場所が広まって欲しいので、かなり自分のことを語っていますが、ふらっとカフェについて紹介させていただきました。大きい道路から路地に入ったところにあるビルの中に入っていて、静かな感じが心地よかったです。
 自分が生きやすくなるようになる。
 相談できる相手がいるというのは、私にとって心強い場所になるのではと思っています。
 
 
物語で悪役を書いている。
私は人間なんて書けないから、あくまでキャラクターとして書いている。その根底にはこんなひどいことをする人間なんて、そうはいないだろうと思いたいから。

人を道具扱いして、自分のために動かすとか。ぐずで気に入らないからと嫌がらせや悪口で追い詰めるとか。人の事情に面白半分で踏み荒らそうとか。

私は……そう酷いことを人間はしないと思っていて、同時にそんなことをするだろうと確信もしている。

テレビやネットが、やかましく、面白おかしく、悪役を伝えていく。
私の経験も人間の駄目な部分を囁いていく。誰もが人間である以上、逃れられないのだ。悪いことをする自分から。


そうして私は今日も悪役を書く。

これは物語の中でしか存在出来ないと、信じながら。きっとこんな人は現実には存在しないと嘯きながら。
 たまに思う。
私は病気と障害だけで構成された人間じゃないのよと。
確かにいろんなことが病気で起きたけど、だけど私を構成しているのは病気だけじゃないんだ。
 創作が好きだし、綺麗なものには目がないし、病気を抜きで色々と考え込むし、いろいろたくさん。
 病気は重要な事実の一つに過ぎない。人間を構成するのはもっと複雑なものじゃないかと思う。病気や障害は一つの面だ。全部じゃない。
  でも健康な人も、そして当事者でさえも病気が自分の全てで。双極性障害は全てをおかしくしたという。うん、確かにそうだろう。人生をつぶすだけの力を持つ病気だから。
だけど、それが事実だとしても、病気以外で何も残っていないなんて言わせない。病人だからって病気だけで生きているわけじゃない。

 少なくとも、私は嫌だよ。自分を病気だけで見られるのは。私は病気を持った人間なだけだよ。病気の塊じゃないんだよ。