心情文化、創造の主人
12月12日
1.北日本大会
北日本大会
2004年12月12日 郡山ユラックス熱海
主人になろうとするなら、より大きなもののために投入しなければならない
私はいつもお父様に、「もう少し話を短くしてください」と言っているのですが、いざこのように壇上に立つと私も長く話していますね。けれども、これはとても深い内容です。皆さんが何も知らないとしても、心情文化の主人になることができ、真の愛の運動をしながら生きていけば、神様を見つけることができるだけでなく、真の父母様がどんな方なのか、真の家庭がどんな家庭なのか知ることができます(「アーメン」)!
ここはどこですか。コオリヤマ? コリアそしてヤマ? それなら私も韓国人なので、ここは私の家のような所ですね。そのせいか、ここに来る前から私の心は温かくなっているようです。本当に面白いですね。コオリヤマ。今日は巡回の最後の日でしょう? 私の故郷のような心安らかな山(モンタナ)から始まって、韓国を訪ねて、そして日本に来ましたが、北部地方に来てみると、結局山があるここ、コオリヤマで終わりますね。本当に不思議ですね。アメリカには「神は真にミステリアスに働かれる!」ということわざがあります。
カメラはどこですか。この子の顔をちょっと映してください。笑ってください、ほら、君。(明るく笑っている一人の女子学生を指して)この子を見てください。このような顔を見れば希望が出てきます。以前の二世たちはこんな明るい顔ではなくて、(ボーツとした表情をして)こんなふうに眠そうな顔をしていました。このお母さんたちはなぜそんなに笑っているのですか。自分の息子娘がそうだったのですね。(眠そうな表情をして)「また、教会行かなきゃいけないの?」。いつもそんな感じだったのでしょう? 年を取ったおばあさんよりこの若い子どもがもっと年を取っているように見えました。ところが今日、式の前にビデオでも見ましたけれど、私が統一教会員たちに「この若い子どもたちを教育する」と約束したではないですか。
1999年にご父母様が私に、「韓国、アメリカ、日本で一番優秀な二世たちをアラスカに連れていき、きちんと教育をしなさい」と指示されました。そして、韓国、日本、アメリカの二世を集めて訓練したのですが、私はとても失望しました。「この子たちが最も優秀な二世であるのなら、統一教会は本当に大変だ」と思いました。だから、私は「どうしてこの者たちが一番優秀な二世たちなのか」と言って、CARPのリーダーたちを叱りました。
そのとき、私は「二世たちはあまりに弱くて、自分のことしか考えていない。このような文化を変えなければならない」と言いました。神様のみ旨を果たすためには、ために生きる文化を作らなければならないのです。それで特別訓練活動や伝道をさせるために、彼らを最前線に送らなければならないのです!
そのように言うと、CARPのリーダーたちは私を見て「狂っている」と言うのです。また、「最近の二世たちは、そんなことをしたら、ついてこないだろう」と言うのです。その話を聞いて、私はどれほど落胆したことでしょうか。結局、私がW-CARPの責任者になって、二世を教育するために前線に送り出しました。ところが、二世たちが一世と違う点は、苦労を苦労と思わないことです。苦労をチャレンジだと考えます。「困難を越えていけば、もっと大きな人になれる」ことを確信しているからです。心情がより太く、より深く、より広くなるのです。そして、その人を中心に天のみ旨が進行していくのです。結局、み旨のためにもなり、自分自身のためにもなり、この子たちは心が感動するので動くようになるのです。特に、真の愛を中心としていけば、いくら辛かったとしても心は感動を受けるようになります。
自己中心的に行動すれば辛いだけです。だから、私は「統一教会は寝ている」と感じたのです。教会の食口たちがあまりに疲れていて、元気がないように見えたからです。なぜそんなに寝ていたのでしょうか。心情文化の主人になることができなかったからです。真の愛の主人ではなかったためです! だから、私は「この子どもたちを、真の愛を中心とした心情文化の主人になれるように教育して、180度違う人にしなければならない」と思いました。
そうすれば、一世も気を取り直して眠りから覚め、真の愛の運動を通して心情文化の主人になるために努力をするでしょう。そうならば神様のみ旨が成されると信じて、今までこのようにしてきたのです。もともとは一世が真の家庭と一つにならなければなりませんでしたが、そのようにすることができなかったので、二世を教育してから1世を立たせて、真の愛を通じた心情文化の主人になるようにすることによって、天のみ旨を発展させるために、私はここ日本を訪ねてきました!
この子たちを見れば希望がありますか、ありませんか。私と同い年の二世が、どれほど多くこの世の中に流れていったでしょうか。私と同い年の二世は、「20年前にこんなプログラムがあったら良かったのに」と言っています。そして「私は神様も真の父母様も真の家庭も分かりませんでしたが、今、真の愛を中心とした心情文化を通して、自分が誰なのかを見出すことができました」と言いました。
なぜ、その私と同い年の二世が、神様のみ旨の主人になれなかったのでしょうか。「私のみ旨だ」と思わないで、「神様、ご父母様、真の家庭のみ旨だ」と思っていたからです。主人になりたいならば、「これは私のみ旨だ」と言えなければなりません。そうしてこそ、その人を中心として神様が働くことができるのではないですか。
そのようになれば、いくら個人的には辛くても、背後で天が協助してくれるので、希望が生まれるのです。結局、苦労が苦労で終わるのではなく、チャレンジになり、自らをもっと成長させるので、天のみ旨を発展し、個人的にも感動を受けるのです。そこに平和を見つけ出し、自分の故郷の家を探すことができるのです。そうです。心の居心地がいいからです。アーメンですか、ノーメンですか(「アーメン」)。私たちが統一教会の中にそのような家を建てなければならないでしょうか(答えなし)。これは、アラインメントに問題がありますね。二世の皆さん、ちょっと一回やってみましょう。STFプログラムの皆さん、神様をお迎えするためにそんな家を建てたいですか(「はい」)。どのくらい建てたいですか。(STFプログラムのメンバーが腕を大きく広げる)そうですか、座ってください。