【幕末維新ゆかりの地めぐり】

 

幕末の英雄

坂本龍馬は日本各地を奔走しましたが、我が愛すべき故郷

姫路も立ち寄っていたとのことですがその影響?

幕末になると姫路でも尊王(天皇派)の【機運】が高まっていきました。

・・・・って、この場合【気運】とするのが正しいのか!?

 

ネットで調べてみると

 

「気運」と「機運」は、どちらもキウンと読む同音異義語です。 

「気運」は、時勢のなりゆき、社会の情勢がある方向に進んでいこうとする傾向を意味します。 

「機運」は、時のめぐり合わせ、何かをするのに適したおり・時機という意味です。

 

うーん、どっちでもええような?

まあそういうことで姫路にも尊王派と佐幕派(幕府派)の抗争がありました。

幕末維新ゆかりの地を求めて全国を飛びまわってはいるけど

地元・姫路の【幕末維新ゆかりの地】をヒストリアしていきます!

(3~4年前のヒストリアをいまさら記事にしてるんやけどね・・・・・。)

 

姫路藩の尊王派のリーダー

【河合惣兵衛】と姫路の志士たちの軌跡を辿ろう!

 

姫路藩の尊王攘夷運動のリーダー【河合惣兵衛】

姫路で河合といえば姫路藩の財政を建て直した【河合寸翁】が有名ですが

【河合惣兵衛】とは遠い親戚?一族?

河合惣兵衛は戦国時代に分派した分家だそうです。

同じ姫路藩の酒井家に仕えており、同じ時代を生きていたものの

 

【河合惣兵衛】は幕府をなくして新しい日本をつくりたい!

【河合寸翁】は幕府の譜代大名である酒井家の経済大臣として経済を立て直したい!

 

交わることはなかったのかな

同世代というわけでもなかったしね。

 

姫路藩の経済を立て直した偉人として

河合寸翁は姫路で定期的に催し物があります。

 

姫路藩の尊王派リーダー河合惣兵衛は姫路城中曲輪で生まれます。

外堀公園を北に歩けば生家跡があるらしく

それはお散歩徒歩圏やん!?

ヒデちゃんとRUNしながら歴史ヒストリアするで!

 

まずは外堀公園

 

いつも見慣れた公園に

【河合惣兵衛の碑】があります。

 

 

尊王派、すなわち天皇を頂点とする思想は

大東亜戦争(太平洋戦争)後、GHQからすれば御法度であったため

河合惣兵衛=天皇のために殉じた志士

河合惣兵衛の生家跡にあったこの石碑は撤去されることになり

長年、護国神社の本殿東側に放置されていたものを明治維新100年を機に

この公園に移設されることになりました。

 

この外堀公園は桜が素晴らしく

実は姫路の隠れた花見のスポットなのですが

 

たろさくら

 

たぶん、今年最後の花見。

 

この石碑のこと

おそらくそのほとんどの人がゆかりを知らないでしょうね

さるるも知らなかったし・・・・。

 

外堀川を北に歩いて行きます。

 

鯉もいました。

鯉って汚染された水質でも生きていけるらしいね。

 

銀の馬車道やったんやね

 

この道の左手に

 

河合惣兵衛の生家跡の碑があります。

 

この石碑の道路を挟んで向かいが

河合惣兵衛の生家があった場所になります。

 

ちなみに

この生家跡のすぐそばに【かわいばし】があります。

 

欄干には河合家の家紋が

 

しかしながら!

この家紋は【河合惣兵衛の家系の家紋】ではなく

【河合寸翁の家系の家紋】だそうで

 

姫路市が混同し

誤ってこうなってしまったようです。(驚)

 

まあ姫路で歴史において河合といえば河合寸翁やし

市の担当者からしたら「そんなん知るわけないやん!」ってなもんやろな♪

ブログの記事的にもオイシイけど・・・・。

こんな《誤爆歴史ヒストリア》もある意味、一見の価値あり!

 

姫路藩の尊王派のリーダー

河合惣兵衛とその仲間たちを待つ悲劇については

また次回に・・・・。

 

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