【坂の上の雲ゆかりの地】

 

司馬遼太郎の不朽の名作【坂の上の雲】

最後のクライマックスは日露戦争の最終局面である日本海海戦です。

当時、日本がロシアに戦争で勝つなんて世界は想像していませんでした。

歴史を知れば知るほどその勝利は奇跡だと思います。

その奇跡は当時の日本人の努力と犠牲で引き寄せたものであって

後の太平洋戦争・・・・日本ではそれが欠落していたのでしょう。

中国、ロシアに連勝し、日本海海戦では最強海軍の一つ

バルチック艦隊をほぼ無傷で壊滅させるという華々しい戦果に慢心し

国民も軍も政治も破滅に向かっていくのですが・・・・。

 

まず日露戦争は勝てない戦争でした。

しかし戦争が避けられないとわかると日本は必死です。

日本が植民地化される

または属国とならないためにイギリスと軍事同盟を結び

ロシア国内の反体制派を支援し

足らない軍資金を世界から国債を発行することで補い

その国債のために日本が有利だと世界に宣伝もしなければならない。

そもそも軍隊を近代化しなければならない。

 

世界を相手に高度な外交を展開

軍隊の合理性の追求

 

現代日本はどうしてしまったんでしょう

とある知識人が語っていましたが

「優秀な日本人は太平洋戦争で大半が死んでしまった。」

この乱暴と思える説もあながち間違っていないかもしれません。

 

日本が世界的に一番評価されていた時代は

日本が一番苦しかった時代なのかも?

 

東郷平八郎

 

明治時代の日本海軍の指揮官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献

日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げた一人でした。

日露戦争においては、連合艦隊を率い

日本海海戦で当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍バルチック艦隊を壊滅させ

世界の注目を集め、その名を広く知られることになりました。

当時、日本の同盟国であったイギリスのジャーナリストらは東郷を「東洋のネルソン

同国の国民的英雄に比して称えるほどで

日本では、大胆な敵前回頭戦法(丁字戦法)により日本を勝利に導いた世界的な名提督として

東郷平八郎と同藩(薩摩藩)出身者であり同じく日露戦争における英雄である満州軍総司令官・大山巌と並び、「陸の大山 海の東郷」と称され国民の尊敬を集めました。

 

【坂の上の雲】では渡哲也が演じてましたね。

その後ろに参謀の秋山真之

 

そんな東郷平八郎が

舞鶴鎮守府初代司令長官であった時代に

2年間過ごした官邸が舞鶴にあることを知り

もちろん行ってきました。

 

この歴史ヒストリアを逃すわけにはいない!

 

赤レンガ倉庫から車で

10分もかからない距離にありました。

現在はコロナ感染予防で一般公開していないそうですが

だからといって素通りはできぬ!

彼女さんとさるるママンとボストンテリアーズは車で待機。

 

行けるとこまで行ってみよう!

 

あれかぁ!

 

東郷平八郎が住んでたんやなー!

 

東郷平八郎は日清戦争時に防護巡洋艦「浪速」の艦長として

停船の警告に応じないイギリスの商船「高陞号」を撃沈します。

撃沈は国際法に違反しない行為であるにも関わらず

イギリスでは日本政府に対して激しい抗議と憎悪が向けられますが

この時の沈着な判断力が、後に連合艦隊司令長官に人選される要素となりました。

 

詳細は⇒高陞号撃沈事件

 

ぶっちゃけ、中国が約束を破ってたわけやん

現代日本も国際法に基づいて毅然とした態度で臨まねば結局

余計に日本を危険に晒すことになると思います。

 

鉄柵からはここまでしか・・・・。

 

東郷平八郎は敵前で大回頭を行うという大胆な指示を出し

海戦に勝利を納めましたが、この回頭は「トウゴウ・ターン」と世界で賞賛されました。

ロシアのバルチック艦隊の壊滅的敗北が世界中に伝えられ

当時ロシアの圧力に苦しんでいたオスマン帝国においても自国の勝利のように喜ばれ

東郷平八郎は同国の国民的英雄となりました。 

その年にオスマン帝国で生まれた子供たちの中には、トーゴーと名づけられる者もおり

また「トーゴー通り」と名付けられた通りもありました。

 

日本海海戦を描いた有名なこの絵画

戦艦【三笠】

 

さるるが密かに欲望しているのは

横須賀にこの戦艦【三笠】が現存しているらしく

行ってみたいんですよ。

姫路市から横須賀なんて新幹線やろうしさ、彼女さん興味ないやろうし

あ、彼女さんは褥瘡の勉強会で横須賀に行ってたっけ????

さるるはそんなハイカラなところ行ったことないしなー。

山口百恵の歌にもあったよなー。

 

なんせ東郷平八郎は日本海海戦に勝利したことで

名実ともに日本を救った英雄になりました。

もし日本海戦に負けていたら、負けていなくても

バルチック艦隊を全滅させていなければ

陸軍は日本からの補給が断たれ

莫大な犠牲者と引き換えに得た戦果は無駄になったでしょう。

秋山真之という参謀がいて

東郷平八郎がそれを実行して日本の独立は保たれました。

なにも右翼的な考えではなく

これは純然たる歴史の事実だということは押さえていく必要があるかと。

 

「戦争反対!」

 

当たり前です、でもなぜ戦争が起こるのか。

日本が戦争反対と叫べば戦争は起こらないのでしょうか?

違いますよね、過去の世界史を振り返っても

それは証明されていることです。

軍事力を強化することは相手国に刺激を与えて戦争が起こりやすくなる?

そんなことを平気で言っている政治家が日本にいるんですね。

ウクライナがロシアと対等な戦力があれば侵攻されていませんからね。

 

東郷平八郎、秋山真之の死後

 

日本海軍は日露戦争の大勝利の連続に慢心し

あれほど高度な作戦立案した日本海軍はやがて官僚主義に支配され

「お勉強ができるだけの軍人」が大多数を占めるようになり

教科書どおりの幼稚な作戦程度しか立案できず

神風だの大和魂だのという【日本海軍最強】と錯覚させ

アメリカ海軍との戦闘・・・・太平洋戦争へと突入していきます。

 

秋山真之は

「あの勝利はまさに奇跡だった。」

と薄氷の勝利だったことを認めていたはずなのに

 

東郷平八郎は

「勝って兜の緒を締めよ」と

ルーズベルト大統領を感動させる訓告を残したというのに

 

日本海軍(陸軍もほぼ同様)の強さ

日本の政治の優秀さはこの日露戦争で途切れてしまい

現代まで続いているようにさるるは思います。

(さるる史観ですが!)

 

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