【幕末維新ゆかりの地】

 

大河ドラマ【青天を衝け】にいまほど興味が無かった時

画像データーから察するに2021年3月にRUNしていた時のことです。

さるるのRUNは歴史探検RUNでもあり

久しぶりに六騎塚で休憩しようか・・・・と思いRUNしていました。

いろいろあったRUN(前編)

 

数年前のことです。

 

訪れた時に六騎塚をネットで調べたら、とある新聞の記事が出てきて

【代々、〇〇家が管理していたが・・・・。】という一面を見つけました。

南北朝時代、後醍醐天皇に忠義を尽くした児島(こじま)一族が自害した地とされる

兵庫県姫路市の【六騎塚】が荒廃しており

これまで児島一族の末裔(まつえい)とされる【〇〇さん(女性)】が管理していたが

その女性が亡くなり管理する者がいないという記事でした。

その〇〇さんという名前が

さるると同じ苗字であり、不思議と奇縁を感じたのでした。

 

「草むしりぐらいならしてもええけどねえ。」

 

数年前に訪れた時は雑草が生い茂り

廃退感は満載。

南北朝時代に興味はないけれど、これも何かの縁ではなかろうか

近所の人に声をかけてみたら

どうにかなりそうな・・・・そんな気がしたのでした。

(今にして思えばすごいこと考えるよね。)

 

あれっ、草が繁茂してないぞ?

 

誰か管理してくれる人が見つかったのかな?

まあそれならそれで、ね。

なんて思っていたら六騎塚を撮影している紳士にお声をかけて頂きました。

「ウォーキングですか?」「いえ、走って姫路から・・・・。」

何と言いますか、その紳士のおじさん、おじいちゃんという年齢だと思うけど

人としての雰囲気が何か・・・・社交的な印象があったのです。

六騎塚を撮影しているぐらいだから歴史に興味がおありなのかな?と思い

お声をかけたら地元の歴史を記録に残したいと調査・活動されている

ムチャクチャ詳しい方でした!(驚)

 

 

撮影のポイントというか

なんだかブログしているような人の撮り方だなぁ、て思って

「ブログか何かされているんですか?」

・・・・と質問したけど笑顔でやんわりと否定されました。

ふ~ん・・・・そうかぁ、いろいろ調べてるからかなあ。

ふつーは全景を撮って終りだと思うんだけど、石碑の裏側を撮影するとか

その他の所作にSNSを意識したように思えたんだけどね・・・・。

さるるもそうだから。

 

紳士のおじさん

「この石碑はね・・・・。」

 

ここからが歴史ヒストリアです!

 

紳士おじさん

「徳川慶喜の飛び領地が高砂にあってね・・・・。」

 

さるる

「え、そうなんですか!?」

 

紳士おじさん

「今市札という手形を作ってね。」

 

お札ではなく

手形、だったのですね。

 

やってたね

 

紳士おじさん

「渋沢栄一がパリ万博に行く前の数か月間だと思うけど」

「渋沢栄一は高砂にいてね・・・・。」

 

さるる

「ふぇぇえぇえぇえぇえ!(驚)」

 

行ってたね

 

六騎塚のある石碑

 

その裏には【伊藤長次郎】の名が刻まれています。

 

伊藤長次郎とは代々引き継がれる

高砂市の名家で渋沢栄一はよく伊藤家を訪れていたそうです。

(高砂商工会議所報より)

 

渋沢栄一と交流があったのは【第5代目・伊藤長次郎】

 

兵庫県印南郡今市村(高砂市伊保町)・・・・今市札ってここからきてるんやね!

伊保崎といえば・・・・。(高砂のグルメ 【コーヒー伊保崎】

【第4代目・伊藤長次郎】の長男として生まれる。

兵庫県尋常中学校(のち姫路中学校、現兵庫県立姫路西高等学校)を卒業し、って

やっぱり西校って昔っから進学校やったんやね!(驚)

京都の顕道学校、東京の国民英学会、日本法律学校で英語、法律を学ぶんやけど

お父さんの病気で帰郷することに。

やがてお父さんは亡くなり、家督を相続し【第5代目・伊藤長次郎】を襲名しました。

 

渋沢栄一の孫娘が伊藤家に嫁いだことから

渋沢栄一が高砂在住に

【第5代目・伊藤長次郎】と仲良くなったのでしょうかね~?

(ちなみに現在は第7代目・伊藤長次郎さんだそうです♪)

 

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☆おまけ☆

 

紳士おじさん曰く、代々、六騎塚の管理をしてた【〇〇さん】の〇〇さんは

さるると読みが同じだけど字が違いました♪(新聞記事が間違えてる!)

 

(おしまい)