【幕末維新ゆかりの地】

 

坂本龍馬は越前にも訪れています。

 

三岡八郎こと

【由利公正】が坂本龍馬と福井藩を繋ぎました。

 

橋本左内らと国事に奔走し、藩主・松平慶永から財政手腕を高く評価され

藩札発行と専売制を結合した殖産興業政策で藩財政を再建に成功。

長州征伐では、藩論を巡って対立した征伐不支持と支持の両派の提携を画策したものの

支持が得られず蟄居謹慎処分となりましたが、その謹慎中に坂本龍馬の来訪を受け

交流を深めることになりました。

 

蛇足なんやけど

【由利】っていうたら由利辰郎を思い出さん?(思い出さんか・・・・。)

 

極真空手の創始者

っていうか直接打撃制(フルコンタクト)空手を生み出した

もはや歴史上の人物ですね。

漫画・アニメ・書籍では誇張されまくっていますけど・・・・それはもう

フィクションとノンフィクションを受け取り手が判断すればいいかと。

少なくとも大山総裁が存在したからこそ・・・・という人生を歩まれている方が

日本・海外に無数におられることが偉大さを知るひとつの指標かと。

少なくともさるるは高校生の頃にケンカ売った相手に半殺しにされて、その相手から

「空手バカ一代を読んだらええで。」って諭されてからというもの

空手の魅力に憑りつかれたのです。(長いこと見る側でしたけどね♪)

 

余談

ここまで

 

坂本龍馬と由利公正が朝まで語り合った

莨(煙草)屋は福井県にあります。

 

柴田勝家の墓や坂本龍馬ゆかりの地である莨屋

後日記事にする予定の橋本左内ゆかりの地も福井城の割と近くでした。

歴史小説や漫画・ドラマ、テレビの特集では実感できない

距離感を感じることができるのが歴史ヒストリアの醍醐味のひとつです。

高知城下とかみんなめっちゃ近所同士の話やん!とか。

 

莨(煙草)屋を探してウロウロ・・・・。

 

ここや!

 

駐車場になってました。

 

坂本龍馬が2度目の福井来訪時、この場所で

由利公正と早朝から深夜まで延々日本の将来を語り合ったそうです。

前述したようにこの時、安政の大獄で由利公正は罪人扱いです。

だけど坂本龍馬とこうやって語り合えたのはやはり、政治情勢が変わった時

由利公正の活躍を期待していた松平春嶽の政治的配慮でしょうか?

そして桜田門外の変・・・・井伊直弼が暗殺され

政治情勢が転換していくと由利公正は表舞台に再び登場、活躍していきます。

 

この時、由利公正の監視役の2人は

 

監視しながら坂本龍馬と由利公正の話を聞いて

弟子入りを志願したそうです。

 

明治維新後の由利公正は・・・・。

 

土佐藩の福岡孝弟らと共に五箇条の御誓文の起草に参画したり

明治政府では金融財政政策を担当する。

アメリカ、ヨーロッパへ渡航し、各国の自治制度・議会制度などを研究。

板垣退助江藤新平らと共に政府に対して民撰議院設立建白書を提出するなど

精力的に活動しました。

 

 

この莨(煙草)屋での会見から約1週間後

由利公正は福井城下の足羽川沿いの土手を歩いていたその時に突風が吹いて

懐に忍ばせておいた龍馬の手紙を落としてしまう。

由利公正が手紙を紛失した時と同じくして京都にて龍馬が暗殺された・・・・。

という巷談もあるそうですがなんかそれは創作っぽいな♪

 

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