【幕末維新ゆかりの地】

 

早朝、こっそりとホテルを抜け出して

歴史ヒストリアRUN!

 

前回の旅行でも気にはなっていた

【前原一誠】

 

倒幕運動の志士として(維新の十傑に選ばれるほど)活躍したけど

明治維新後、萩の乱の首謀者として処刑されてしまいます。

(大河ドラマ【西郷どん】にも登場していましたね。)

陶器製造など農漁業など働きながら久坂玄瑞高杉晋作らと共に吉田松陰松下村塾に入門。

吉田松陰からは「ええヤツやけど久坂や高杉ほどの人間とちゃうで。」と評価したそうです。

吉田松陰の処刑後は長崎で洋学を修め、のちに藩の西洋学問所・博習堂に学び

高杉らと下関に挙兵して藩権力を奪取したり、長州征伐では小倉口の参謀心得として参戦。

戊辰戦争では北越戦争に出兵、参謀として長岡城攻略戦など会津戦線で活躍し

大村益次郎の死後は兵部大輔に就任するという軍事のトップになるのですが・・・・・。

 

前原一誠の生家

 

 

大村益次郎の方針である「国民皆兵」路線(徴兵令)に反対し

木戸孝允と対立、徴兵制を支持する山縣有朋に追われるように萩へ帰郷してしまいます。

新政府の方針に不満をもった不平士族を集めて萩の乱を引き起こしますが

即座に鎮圧、捕らえられ、萩にて斬首刑に処されました。

享年43・・・・ってさるるとほとんど一緒の年齢やん!さるるは何をしとるんや・・・・。

山縣有朋の生家と前原一誠の生家は割と近いところに位置してるし

知り合いじゃなかったんかな????

 

前原一誠の生家は保存されていますが

公開はされていないようです。

ちなみに川を挟んで向こう側に品川弥次郎の生家跡があったそうだけど

ホテルの朝食に間に合わねば迷惑がかかるので断念しました。

 

すぐ近所に廃墟?に石碑を見つけました。

【大和国ノ助】の生家だったようです。(長州藩正義派の政治に携わった人)

 

えっと・・・・正義派って

高杉晋作のクーデターが成功してから活躍した政治家だっけ?

すいません、そこらへんうろ覚えです・・・・。

でもこの廃墟の手入れされていない土地で石碑が立っているあたり

知名度は低いのでしょうね・・・・そういや前回

彼女さんと久坂玄瑞の生家を訪ねた時、よく知らん人の石碑があったけど

あれも正義派の誰かの石碑だったのかな????

 

RUNの最中に見つけた

【梅屋七兵衛の旧宅】

 

【梅屋七兵衛って誰?】(以下、観光サイトから抜粋)

萩藩から鉄砲1,000丁購入の密命を受け、長崎へ赴きます。

七兵衛は外国人の商人と交渉を重ねますが、言い値が高く、交渉を中止。

あらためて別のイギリス商人と交渉したところ話がまとまり、自分で調達した3,000両の契約金を渡しました。

ところが、先に商談を受けていた商人はこれを恨んで長崎奉行に密告。

七兵衛は拘束されてしまいます。しかし、七兵衛はいったん宿に帰された際に監視の目を盗んで

契約相手のイギリス商人と上海へ逃亡。

イギリス商人は鉄砲を調達しにイギリスへ帰り、七兵衛は一人、上海で待ちます。

そして1年後、鉄砲1,000丁を運んで迎えに来たイギリス商人の船で現在の長門市仙崎へ帰着。

地元では異国船が来たと大騒ぎになりますが七兵衛が下船し事情を説明。

鉄砲は無事に長州藩へと引き渡されました。

七兵衛は、この命懸けの行為によって、長州藩から永代名字を名乗ることと帯刀が許されたのでした。

 

・・・・だって!

なんやすごい人やな~!

ホテルまでの帰り道やし、ちょっと通り道やけど

RUNしてみっか♪

 

おっ、ここか!

 

 

幕末で活躍したみんなはこうやって

150年経っても生家が保存されたりしているんやね、でも

ちょっと話題性の乏しい人物は廃墟になってたり

石碑だけがちょこんと建っていたりするだけだったり、格差があるんやな~。

 

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