【幕末維新ゆかりの地めぐり】

 

幕末は薩長土(薩摩藩・長州藩・土佐藩)が主軸となって

維新を達成しましたが、薩摩藩は魔術的な外交能力と軍事力を発揮し

長州藩は尊王攘夷を可燃物とした狂信集団と化して維新を先導しました。

土佐藩は・・・・まあ、どうなんでしょうね。(苦笑)

それにしても数年前まで砲火を交えた犬猿の仲の薩摩藩と長州藩を同盟させ

ダメ押し保険的に土佐藩まで連結させた坂本龍馬はスゴイな!

 

というわけで

長州藩のお城、萩城へ歴史ヒストリアです!

 

昔の写真と比べて画像左に天守閣があるはずですが・・・・。

 

明治7年の廃城令で

天守閣や櫓は取り壊されてしまったそうです。

この廃城令って士族が反乱を起こして、お城を拠点にさせんためかと思ったけど

軍事拠点にするためやったらしいね。

そもそもお城って広大な土地、軍事的要衝に建てられているやもんなぁ。

例外的に姫路城とか、個人に払い下げられた松本城や犬山城なんかは(中津城もやったっけ?)

いろんな理由で現存することになったんやけど・・・・・。

 

天守閣があったとしても

石階段から察するに姫路城みたいに大きくはなかったんやろうね。

 

関ヶ原の戦いで西軍の総大将に就いたことにより

周防国長門国の2ヶ国に減封された毛利氏が、広島城に代わる新たな居城として

毛利輝元は未完成の城に入城しました。

石田三成とか処刑されてるのに寛大な処置なような気がするけど・・・・・。

薩摩藩(島津氏)もそうやけど関ケ原という局地戦で勝ったとはいえ

戦火を広げたらどうなるかわからんし(九州では黒田官兵衛が大暴れして統一する勢いやったし)

滅ぼすより厳封とかして政治的に抑えた方が得策と徳川家康は考えたんかな?

 

桂小五郎は藩を説得するのに大変やったらしいです。

 

長州藩はひとことで【狂気】。

勝ち負け勝算なんぞ関係ナシ!尊王攘夷の思想のために殉じる

・・・・といえば聞こえはいいのですが仲間内でも思想が違えば殺してしまう。

外国人はもちろん、外国製品を取り入れようとしても殺してしまう。

・・・・これ、どっかの国の話みたいじゃない?

手段の為には暗殺も放火も強盗も強姦おかまいなし

特に京都では(もちろん長州藩だけではないですが)破壊活動で暗躍し(幕府への挑発行為?)

治安回復のために新選組や見廻組が誕生することになります。

 

もうどっちが正義かわからん

否、そもそも歴史に正義なんて存在しないんですよ。(それは現在の世界情勢も一緒!)

【勝てば官軍(明治維新軍)】という言葉の意味は

勝った者が歴史をつくる、善悪を決めることができるってことです。

 

 

現在は指月(しづき)公園として

地元の人の散歩コースになっています。

 

 

 

当時は真夏?

ものすごく暑かったんですが指月公園は緑が多く

涼しかった思い出がありますね。

お城的なワクワクするような建造物は石垣ぐらいなんですけどね。

天守閣を復元しようとする動きも過去にはあったそうですが

諸事情で現在は話が進んでいないそうです。

 

この公園の小道・・・・高杉晋作や桂小五郎が歩いたのかもしれんね。

そう思うと歴史ロマンを感じざるを得ないよ。

 

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