【幕末維新ゆかりの地めぐり】

 

革命児【高杉晋作】!

 

高杉晋作といえば奇兵隊。

この山口県下関市吉田という場所は奇兵隊の生まれた土地です。

てっきり高杉晋作はここらへんで生まれたんかと思ってたんやけど

高杉晋作の生家は萩市なのでこれまた遠い下関市で奇兵隊を結成したんだなぁ。

萩市が日本海側、下関市が瀬戸内海側やもんね。

ちゅーことは岡山県倉敷市の代官所を強襲した第二奇兵隊も

この地から出発したんやろうな。(岡山県:倉敷市【倉敷美観地区】

 

東行庵

東行(とうぎょう)って高杉晋作の別名なん。

 

高杉晋作、その愛人おうの以外の志士たちの墓もあります。

功山寺の末寺ということは後日に知ったのですが、高杉晋作が挙兵した功山寺

その功山寺の末寺に東行庵・・・・創建年は明治2年。

愛人おうのが尼さん(谷梅処)になるのに合わせて創建されたということですね。

(もともとは山縣有朋の別荘でした。)

写真ではわかりづらいですがなかなかの広さで、紅葉が素晴らしい場所だそうです。

 

高杉晋作の墓はすぐにわかる場所にあります。

 

 

【お~い!竜馬】では忠実に描かれていることに驚きました。

 

奇兵隊や他の部隊の墓地もあります。

 

白石正一郎の墓も!

思ったより小さい墓やね・・・・。

 

【白石正一郎】

鈴木重胤を学び、門下生を通じ西郷隆盛が正一郎を訪ね親しくなり

月照上人、平野国臣真木保臣らと親しかった経緯から尊皇攘夷の志に強い影響を受け

長州藩の高杉晋作久坂玄瑞らを資金面で援助した。

土佐藩を脱藩した坂本龍馬なども一時、白石邸に身を寄せていた時期もあり

維新に少なからず影響を与えた人物といえるでしょう。

 

【お~い!竜馬】では名前だけで登場せんかったんちゃうかな?

 

 

 

なんで商人の白石正一郎が奇兵隊らと同じ墓なんやろ?

なんて思って調べてみたら・・・・

高杉晋作の奇兵隊結成に援助するだけではなく自身も入隊!!(驚)

当時51歳の正一郎は奇兵隊の会計方を務める。

高杉晋作の働きかけと緊急時の人材登用という藩の方針もあり、白石正一郎は士分に取り立てられ

商人から家臣へと一躍出世することに。

しかし援助を続けた結果、財産は底をつき、それどころか借金を抱えるようになる。

高杉晋作はそれを気にして藩に借財の精算をかけあうも解決しないまま晋作は死去。

明治維新後は東京からの誘いを断りその一切の見返りを求めなかったそうです。

歌や学問をし、赤間神宮(耳なし芳一の神社)の2代目の宮司となりました。

 

ちなみに白石正一郎の弟、白石廉作も奇兵隊に入隊し

七卿落ちの1人である澤宣嘉の挙兵(生野の変)に参戦するけど

失敗となって自刃しました・・・・って

なん!?生野いうたら姫路から車ですぐ行ける距離やんか!

そこにも幕末維新ヒストリアがあるんやな!

これは近々に赴く必要があろう!

 

山縣有朋の像

 

師匠格の高杉晋作の銅像より大きいとは・・・・

「さすが権力欲に憑りつかれた山縣有朋やのう!(唾棄)」って毒づいたけど

この銅像は山縣有朋死後に作成されたんやろうし

そもそもこの東行庵は山縣有朋の別荘地を高杉晋作の愛人おうののために譲ったし

許してあげることにしました。

ふふ・・・・さるるってけっこうなヘンケン(偏見)艦長じゃろ?

 

東行庵内にある【東行記念館】

 

高杉晋作が小倉城から戦利品として持ち帰った灯篭があります。

 

しっかし長州軍は強いよね

第二次長州征伐(四境戦争)なんて・・・・っとまあ

また話が長くなるから別の機会にしましょう

高杉晋作関連の歴史ヒストリアはこれからナンボでも出てくるしね。

まだまだ旅は始まったばかりやもん♪

 

 

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