【幕末維新ゆかりの地めぐり】

 

革命児【高杉晋作】!

 

大麻で捕まってたね

龍馬伝で高杉晋作を演じた伊勢谷くん

 

坂本龍馬にリボルバー式拳銃を贈ったことで有名ですね。

 

【高杉晋作】

幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍。

奇兵隊など戦闘部隊を創設し長州藩を強力な討幕軍として錬成した中心人物。

吉田松陰が主宰していた松下村塾に入り

久坂玄瑞吉田稔麿入江九一と共に松下村塾四天王と呼ばれ

第二次長州征伐(四境戦争)では坂本龍馬と協力し、海軍を率い幕府軍を打ち破り

さらに海峡を渡って小倉藩(北九州市)を屈服させるという軍事的才能を遺憾なく発揮しつつも

イギリス、フランス、アメリカ、オランダの4か国連合艦隊と戦争状態になると

フルボッコにされた長州藩から和議交渉を一任され、諸外国の領土割譲の要求に一切応じず

要求を取り下げさせることに成功するという政治的才能まで抜群!

でも肺結核で27歳(29歳との説もあり)で死亡します・・・・。

 

高杉晋作の墓がある【東行庵】

 

【東行庵(とうぎょうあん)】

奇兵隊の軍監山縣有朋は別荘を建ててたんやけど

高杉晋作の遺言で奇兵隊の本拠に近いこの地に葬られることになりました。

山縣有朋はこの別荘をおうのに贈ることにしました。

高杉晋作の愛人おうの(谷梅処)は高杉の死後に出家し、ここにお寺を立てました。

「東行(とうぎょう)」は晋作の号であり

おうのは1909年(明治42年)に亡くなるまで高杉晋作をこの地で弔い続けます。

 

 

 

 

【おうの(谷梅処)】

おうのと高杉晋作との出会いは不明ですが

高杉晋作が四国に亡命した際にも同行した記録があるそうです。

愛人ということは高杉晋作には妻も子供もおり

妻や子供の立場になれば「何をやってるんだよ!」とも言えなくもありませんが

当時の価値観や風習?もあるでしょうし

現代の価値観ではその善悪を判断しかねますな・・・・でも妻は堪らんよね

愛人がここまでクローズアップされてしまうとさ。

ちなみにおうのは司馬遼太郎の【十一人目の志士】ではあまり賢くない女性として登場します。

高杉晋作の死後、英雄の愛人が賢くなくて困るので尼にしてしまう、というストーリーでした。

坂本龍馬死後、妻おりょうも扱いに困ったというのにも似てますね。←これは史実だけど。

 

高杉晋作の墓のすぐ近くに

おうのの墓はあります。

 

おうのは亡くなるまで高杉晋作のことを想い続けたそうで

亡くなった後も高杉晋作の墓のそばで眠り続けることができるなんて

さるるは羨ましいな、と思ってしまうのです。

重たい男と思われるけど死んでも好きな子の横におりたいとか思うんよね

まあ迷惑な話だろうけどさ。(笑)

でも高杉晋作の墓の近くじゃなくて、高杉晋作の横にお墓をつくってあげてほしかったな。

 

漫画【お~い!竜馬】では独自の解釈で描かれています。

 

高杉晋作が吉田(東行庵)に行きたがっていたその理由を・・・・・。

 

高杉晋作の葬式に参列できなかった

おうのの心情を汲むシーンは目頭が熱くなります。

 

 

男として生まれたからには

こういう優しい男にならねばならぬとは思うんやけどね

 

 

ちなみに

高杉晋作の墓の横には【福田公明の墓】があります。

 

奇兵隊の軍監(山縣有朋の後任?)らしいけど

本人の希望で高杉晋作の横に墓を建ててほしいと遺言したんだってさ。

空気を読んでおうののために場所を空けてあげればよかったのに・・・・。

ちなみに福田公明は明治元年まで、おうのは明治42年まで生きました。

 

しっかし

高杉晋作の妻は心中穏やかではなかったやろうな!

 

 

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