【坂の上の雲ゆかりの地】
短歌・俳句といった日本の短詩型に新風を入れて中興の祖となった
【正岡子規(香川照之)】
日清戦争が勃発すると、翌1895年(明治28年)4月
近衛師団つきの従軍記者として遼東半島に渡ったものの、上陸した2日後に下関条約が調印されたため
同年5月、第2軍兵站部軍医部長の森林太郎(森鴎外)に挨拶をして帰国することに・・・・。
その船中で喀血して重態に陥り、神戸病院に入院、【須磨保養院】で療養したのち
愛媛県松山市に帰郷します。
【須磨保養院】は
現在の須磨浦公園のふもと、みどりの塔のそばにありました。
【坂の上の雲】の歴史ヒストリアが偶然・・・・いや下調べしてなかっただけですが
須磨浦山上公園の近くにあったとは!!
須磨浦山上公園の旗振茶屋のそばにあった句碑
これで思い出したん。
「あ・・・そういえば・・・正岡子規って神戸で療養してたんだよな?」
いつか歴史ヒストリアせんとなぁ、と思ったら現地やった♪
レトロな展望台でお茶休憩します。
ここは回転展望台でした。
姫路の回転展望台はもう動いてませんから懐かしかったです。
美しい・・・・。
一息ついて再びカーレーターとロープウェイで下山。
敦盛橋を渡って坂道を登っていくと・・・・。
正岡子規とその弟子である虚子の句碑があります。
虚子の東帰にことづてよ 須磨の浦わに晝寝すと (子規)
子規50年忌月を思い 人を思ひて須磨にあり (虚子)
全国的に師弟碑は珍しいそうです。
正岡子規はその他に須磨で2つの俳句を残しています。
暁や 白帆過ぎ行く 蚊帳の外
読みさして 月が出るなり 須磨の巻
こぼれ話
展望台にこんなものが・・・・。
これでどうしろと?(戦慄)
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