【坂の上の雲ゆかりの地めぐり】
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若き日の秋山真之(演じるは本木雅弘)
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日露戦争を陸と海で勝利に導き、日本の植民地化から救った
愛媛県松山市出身の秋山兄弟。
兄の好古は人格高潔、頭脳明晰であったのに対し
弟の真之は頭脳明晰は好古と同様でしたが性格はかなり豪快だったそうです。
(でも好古には頭が上がらなかったそうですが・・・・)
日露戦争では世界の戦史上、稀有な大勝利をもたらした知将・秋山真之。
お勉強ができるだけではない
そういう人間こそが大事を成すのですかね????


今回はそんな秋山真之の
豪傑を伺い知ることがあるエピソード


松山市青少年センター
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この場所はかつて【お囲い池】がありました。
松山藩政時代には水練場であり、明治30年以降は松山高等小学校の水泳場として活用され
『坂の上の雲』のなかでは、秋山真之が泳ぎにいく場面で登場しますが
現在は埋め立てられており、その面影を見ることはできません。


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秋山真之は、幼少の頃この「お囲い池」でよく遊んでいて
海軍士官学校時代に帰省した際も
地元の子どもたちと水遊びを楽しんでいました。

ある日
広島から来た陸軍兵士たちが、ふんどしをつけずに泳いでいました。
藩政時代から監督していた老人が注意しますが陸軍兵士は逆ギレする始末です・・・・。
当時の陸軍・・・・特に広島となれば長州、長州といえば元は官軍で
幕府側・・・・というか官軍に味方しなかっただけの松山藩では横柄な態度をとる兵士も多かったそうです。
(同じ日本なのに松山藩は賠償金も払わされていた・・・・。)

豪快実直の秋山真之は
相手は陸軍だろうが、悪いものは悪いと断罪、力づくで追い出してしまいました。
悪いのは陸軍兵士なのですが陸軍からの圧力で悪者になってしまった秋山真之・・・・。
警察は秋山真之に形だけでも謝って欲しいと言うのですが、秋山真之は謝ろうとしません。
ここで陸軍との問題が公になれば息子の秋山真之の出世に響くと
変わりに秋山真之の父親が警察に出頭して、罰金を払い謝罪するのですが
自分が謝ったことを真之に言わないでほしいと頼んだそうです。

ここで秋山真之が出世しなければ
父親が代わりに罰金を払わず、謝罪しなければ・・・・
日本海戦の奇跡の勝利は存在せず
歴史が変わり、日本は植民地化していたかもしれません。

秋山真之のまっすぐな性格と
何にも恐れない勇気は
さるるの望むところではあるのですけど、それだけでは世の中
うまく渡っていけないってことですなぁ。

ちなみにこのエピソード
史実ではなく司馬遼太郎の創作ではないかと思います。
秋山真之の豪快さを印象づける
虚実を織り交ぜた司馬遼太郎の手法は巧みだと思いますね
梶原一騎も史実を織り交ぜた原作が得意ですし
司馬遼太郎の影響を受けているのかな、なんて夢想してみました。


正岡子規の弟子である
高浜虚子
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【高浜虚子(たかはまきょし)】
愛媛県温泉郡長町新町に旧松山藩士・池内(いけのうち)政忠の五男として生まれ
9歳の時に祖母の実家の高浜家を継ぐ。
1888年(明治21年)、伊予尋常中学校(現・愛媛県立松山東高校)に入学し
1歳上の河東碧梧桐と同級になり、彼を介して正岡子規に兄事し俳句を教わっていく。
1891年(明治24年)、子規より虚子の号を授かる。
(名前の末尾に「子」と付くため、女性に間違われやすい。)
正岡子規が後継者と目されていた人物でした。

高浜虚子の「正岡子規と秋山参謀」という文章に
そのときのことが記されていて

高浜虚子がこの水練場で秋山真之を見かけた時
秋山真之は周囲をはばかることなく「チン●が痒うていかん!」と豪語していたそうで
高浜虚子は秋山真之のその豪傑ぶりに驚倒し
自分などが交際を願える存在ではないと思ったと自著で述べています。

っていうかさ
「チン●が痒うていかん!」ぐらいで驚倒してたら
さるるの言動を聞いたら
高浜虚子はどうなってしまうんだろうねえ?


昔からあった【お囲い池】のそばにあるお地蔵さん
(松山市青少年センターの角?)
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この昔からあるお地蔵さんが歴史的にどうなのか
さるるも知らないんやけど
大昔から【お囲い池】を見守っていたんやろうねえ・・・・。
秋山好古、秋山真之、正岡子規、高浜虚子も泳いでいた【お囲い池】。
去年に行けなかった【坂の上の雲ゆかりの地】やっと行けて
さるるは大満足なのでした。

そして
伊予宇和島へ・・・・・!