【幕末維新ゆかりの地めぐり】
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Yahoo!ブログが終了するという
いまだにどこか信じられないようなニュースからなんとなく
歴史ヒストリアを記事にする気力がねぇ
若干さるるの中でモチベーションが下がっていたんやけど
これから再始動していきますよ。

ペリー率いる外国船の脅威に対して
幕府も各地に沿岸に砲台を設置して抑止力を持とうとした・・・・
ということで前回、神戸へヒストリアしてきました。


姫路にも砲台が設置されていたと情報をキャッチ
ランニングしながら姫路港へ調査に行こうと思ったけど・・・・・
走って姫路港まで遠いな!(汗)ということで


家島に行く機会に調査してきた!
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ネットで調べたんやけど正確な場所がわからんくって
姫路港湾合同庁舎の一角にあるらしい
そんなんでわかるんかいや、って不安な気持ちのまま散策する。


いや・・・・ここ入ってええんやろな?
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姫路港湾合同庁舎の近くにある神社が目印?
まあ・・・・この記事を観て行く人はおらんやろうけど・・・・。
もしわからんかったらさるるに言うて下さい。
連れて行ってあげますから。


あった!
飾磨砲台跡の石碑!
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ここに荻野流2門
西洋流2門の計4門が設置されたそうです。
当然、大砲はミサイルでもなきゃロケットでもないわけですから
命中力はめちゃくちゃ低い。
太平洋戦争は日本とアメリカ、世界一流海軍同士の戦いでしたが
命中率は5パーセント程度という説があります。
ちなみに日露戦争なんかロシア海軍の砲弾はほとんど命中せず
日本海軍はどんどん命中したそうです。
日本海軍の練度は当時最強のイギリス海軍に比肩するといわれていましたが
幕末の日本にそのような練度は間違いなく期待できなかったでしょう。
少なくとも命中率は5パーセントを上回ることはなかったはずです。

大砲はたくさん揃えて
一斉に砲撃して面制圧していくのが基本です。
そうやって命中率を上げていきますが
旧式4門の大砲ではまず命中弾は期待できなかったでしょう。
ましてや固定された砲台と海上を移動する軍艦
発射してから着弾までの時間と軍艦の未来位置を計算して・・・・
いややっぱどう考えても命中は期待できないっすな。


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日露戦争あたりから射撃技術の確立
大砲の高性能化がすすんで【軍艦は沿岸砲台に勝てない】
とまで言われるようになりましたが
それはまだ未来のお話・・・・ようするに下手な鉄砲数撃ちゃ当たる
そんな時代だったわけですね。
女子に対しても砲術学は多分に応用できるとは思うけど
あんまり語ると好感度下がるからやめておくよ。


家島に向かうよ
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ものすごい高速で船体が揺れて吐きそうやった。
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(次回、家島上陸編スタート!)