【真田丸ゆかりの地めぐり】
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/02/sawada0906/0b/88/j/o0560039114546479262.jpg?caw=800)
Yahoo!ブログが平成31年8月末で実質、終了します。
投稿やコメントできるのが8月末まで、平成31年12月15日になると
この世のすべてのYahoo!ブログが消滅します。
しかしながら・・・・ジタバタせず、最後の瞬間まで【まっすぐ、歩く。】は
これまで通り最後までいつもな感じで行きたいと思います!
(アメブロに過去記事ごと移設できるらしいから多少は楽観してますけど)
さて今回の歴史ヒストリアは・・・・・
織田有楽斎
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/02/sawada0906/da/cd/j/o0773042214546479268.jpg?caw=800)
信長の弟であり茶々の叔父さんです。
NHK大河ドラマ【真田丸】では大阪城に籠城する大阪方に属しつつ
実は徳川家康のスパイだった・・・・という設定でした。
司馬遼太郎の【城塞】でもスパイ、間諜として暗躍していました。
これが史実なのかどうかはわかりません。
しかしながら真田幸村、後藤又兵衛など優秀な武将のやり方に
ことあるごとに横槍?を入れ
しまいめには「誰も俺の言うこと聞かんから城から出るわ~。」って
堂々と許可を得て大阪方を抜け出ます。
その後、京都で
趣味である茶道を楽しみつつ生涯を閉じます。
慶田寺に織田有楽斎の墓があります。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/02/sawada0906/25/90/j/o0686051514546479273.jpg?caw=800)
先日、厄払いに奈良県に行ったのですが道を間違えたら
偶然に【織田有楽斎の墓】って看板を見つけたんよ、興奮したよ。
んで三輪大社の山登りの疲労もなんのその・・・・・。
さっそく歴史ヒストリアした次第であります♪
織田有楽斎
京都の建仁寺にもお墓があるよ。
(京都府:京都市東山区 【建仁寺】 )
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/02/sawada0906/06/08/j/o0686051514546479275.jpg?caw=800)
織田有楽斎にまつわるエトセトラ①
【有楽町は織田有楽斎の名前が発祥】
茶人としても名をはせた有楽斎は関ヶ原の戦いのあと、徳川方に属し
数寄屋橋御門の周辺に屋敷を拝領し、その屋敷跡が有楽原と呼ばれていたことから
明治時代に「有楽町」と名付けられたとの説があるが
文字の類似からきた俗説であり有楽斎がここに住んだという記録はない。
(結局は俗説かい!)
織田有楽斎にまつわるエトセトラ②
【お花の名前にもなった有楽斎】
ツバキの一品種「太郎冠者」は別名「有楽」ともいうが
この名は長益(有楽斎)がこの品種を愛したことによる。学名もCamellia uraku。
織田有楽斎の墓
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/02/sawada0906/b0/b3/j/o0686051514546479283.jpg?caw=800)
後世の編纂書では本能寺の変の時
織田信長の息子信忠に自害を進言したのは織田有楽斎だとされ
そのくせ自分はトンズラこいた織田有楽斎を
織田の源五は人ではないよ お腹召せ召せ 召させておいて
われは安土へ逃げるは源五
むつき二日に大水出て おた(織田)の原なる名を流す
・・・と皮肉られたそうです。
でもなんちゅーかな、戦国の世で天寿を全うし
趣味に生きれたってすごいと思います。
歴史上の人物ってお墓がずっと残っていてすごいよ
このブログはさるるの老後の楽しみとして毎日記事にしてたん。
認知症になっても思い出せるようにね
でも
Yahoo!ブログは消滅するわけで・・・・。
なんだかデジタルなものって
なんの根拠もなく半永久的に残るものなんだと
さるるは勝手に思い込んでたよ
ブログが移設したとして、きっとそれは同じなんだろうな。
さあどうしようかねえ・・・・。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/02/sawada0906/b0/b3/j/o0686051514546479283.jpg?caw=800)
後世の編纂書では本能寺の変の時
織田信長の息子信忠に自害を進言したのは織田有楽斎だとされ
そのくせ自分はトンズラこいた織田有楽斎を
織田の源五は人ではないよ お腹召せ召せ 召させておいて
われは安土へ逃げるは源五
むつき二日に大水出て おた(織田)の原なる名を流す
・・・と皮肉られたそうです。
でもなんちゅーかな、戦国の世で天寿を全うし
趣味に生きれたってすごいと思います。
歴史上の人物ってお墓がずっと残っていてすごいよ
このブログはさるるの老後の楽しみとして毎日記事にしてたん。
認知症になっても思い出せるようにね
でも
Yahoo!ブログは消滅するわけで・・・・。
なんだかデジタルなものって
なんの根拠もなく半永久的に残るものなんだと
さるるは勝手に思い込んでたよ
ブログが移設したとして、きっとそれは同じなんだろうな。
さあどうしようかねえ・・・・。
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