【幕末維新ゆかりの地めぐり】
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すてれんきょツアー【要塞は男のロマン編】も最終回。
第二次世界大戦ぐらいまでは戦艦は海岸砲には勝てないというのが通説でしたが
それは大砲の技術が飛躍的に向上したからであって
幕末の日本、というか各藩が準備できる大砲ではその通説は当てはまりますまい。
日本はお寺の釣鐘を並べて大砲に見せかけたぐらいでしたから・・・・。
大村益次郎曰く「どうせ金もないし効果もないのだからそうしておきなさい。」
なんて言ったとか言わなかったとか。


重要な神戸港を守るため
勝海舟は沿岸砲台を必死に建造します。


今津砲台跡に向かう前に
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今津港が栄えていたことを予習します。
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ここにも砲台があったみたい。
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現存する今津砲台
当時はもっとたくさんあったということですね。
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和田岬砲台とデザインにさほど変わりはありませんね
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中には入れないようになっていますが
本気になれば入れそうな感じでしたが大人だから我慢しました♪
住宅街のそばにあるという、そのギャップに萌えたわ~!


なんや向こうには未来都市があったわ。
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すてれんきょさんに連れられて反転、姫路方面へ
今度は舞子砲台へ向かいます!
和田岬砲台、今津砲台・・・・舞子にも砲台あるの!?
若い頃何度か行ったことあるけど・・・・知らんかったなぁ~!
無骨な建造物を見逃すとは一生の不覚!


おーテンションあがるわ~!
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・・・・へ?
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砲台・・・・ベンチ?
いやでもこれはブログの最後のオチとして最高やなって
当時、ニヤリとしたのを覚えています。
あ~そりゃ気づかんわー散歩してる人が腰かけたりするんだろうね。
これはこれでいい風景だと思うわ。


砲台のあった名残はありました。
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この舞子砲台も勝海舟が設計し
神戸海軍操練所も協力して明石藩が建造しました。
対岸には徳島藩の淡路島があり
淡路島と舞子から黒船を挟撃できるように砲台が設置されたそうです。
もちろん、実際に使用されることはありませんでした。


近くに孫文博物館があります。
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もう4年も前のことだけど
やっと記事にすることができました・・・・Yahoo!ブログ終了するなんてね
まあ記事は次のブログにも移行できるそうだから
新しいブログでも歴史ヒストリアは継続していきたいと思います。
(いっぱい記事にできてないネタがあるしね!)

すてれんきょさん
(もう4年前だけど)ありがとうございました!
またどっかに行きましょう♪