【幕末維新ゆかりの地めぐり】
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幕末維新ゆかりの地として外せないのが
坂本龍馬、その坂本龍馬の師匠であり幕府側だった勝海舟。
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勝海舟の先進性を理解できる人間は少なく
幾度となく命を狙われますが、結局のところ勝海舟の予見通り
日本は歴史を重ねていくことにあります。
「外国を追っ払え!」という思想だったはずの官軍が幕府討幕後に
勝海舟の生徒のごとく開国主義になるわけですから
当時の志士たちは「え?徳川幕府と同じことすんの!?だまされた!!」
そう思うのが至極当然であったでしょうね。


西郷どんでは江戸の無血開城に尽力
日本人が殺し合う愚を西郷隆盛に説きました。
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日本国内で内戦が続くことで外国の餌食になることを恐れました。
実際にロシア軍艦対馬占領事件も過去にあり、状況は抜き差しならない情勢でした。
徳川家の幕臣として(冷遇もされたけど)徳川家を救うために奔走します。
もし、西郷隆盛が無血開城に同意しなければ江戸の民衆を千葉に避難させたうえで
新政府軍を誘い込んで火を放ち、武器・兵糧を焼き払ったところに
ゲリラ的掃討戦を仕掛けて江戸の町もろとも敵軍を殲滅させる焦土作戦を西郷に迫りました。
ナポレオンのモスクワ侵攻を阻んだ1812年ロシア戦役における戦術を参考にし
作戦を実施するに当たって、江戸火消し衆の長であった新門辰五郎
大量の火薬とともに市街地への放火を依頼し
江戸市民の避難には江戸および周辺地域の船をその大小にかかわらず調達、さらに
避難民のための食料を確保するなど準備を行っている。
幕府の軍艦は新政府軍の兵糧と退路を絶つ為、東海道への艦砲射撃の準備をさせ
徳川慶喜の身柄はイギリス艦隊によって亡命させる予定でした。
・・・・・すげえな、勝海舟!(戦慄)


【いだてん】の嘉納治五郎先生
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若き日の嘉納治五郎先生に
スーツを贈ったのが勝海舟だったというエピソードがありましたね。
史実かどうかはわかりませんけど・・・・たぶん史実でしょう。(知らんけど♪)
でも柔道の聖地【講道館】も勝海舟の書が残っています。
また日本海軍の始祖であり日清戦争で大勝利して興奮している世論に対し
「中国と一緒に西欧列強と戦わなあかん!」と冷や水をかけます。
なんせ勝海舟は書ききれないエピソードだらけです。


神戸海軍操練所時代の勝海舟の家があったと思われる場所
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今はそれを思わせるものは何もありません。
石碑になるようなものがないので、多少は場所に差異はあるかもしれませんが
すてれんきょさんの入念な下調べの元に散策し調査しました。
少なくともこの町内であることは間違いありません、というそんなかんじで
今回は最小公倍数的な歴史ヒストリアです。


そのすぐそばにある湊山温泉
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平安時代にはすでに存在しており
平清盛も入浴したという伝説のある温泉なのです!
勝海舟の住んでいた場所からすぐそば、そりゃ勝海舟も入浴していたでしょう。
もちろん、その一番弟子の坂本龍馬だって勝海舟と一緒に・・・・・
歴史的証拠はありませんが、フツーに考えれば
そう考えるのが自然だと思いません?
少なくとも勝海舟が入浴しなかった、と思う方が不自然やと思わん?
というわけで湊山温泉も歴史ヒストリアに決定!(笑)


煩悩の数が気になるさるるなのです。
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いや~・・・・・
すてれんきょさんとお風呂に入るって恥ずかしい♪
まさに裸のお付き合いですな!
硫黄の匂いのする【ザ☆温泉】って感じでした!


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1970年代には一日平均1200~1300人の来客数でしたが
近年は360人/日程にまで落ち込みます。
神戸市の上下水道料金見直しに伴う負担増の影響などもあり2015年5月10日で廃業が決定。
この廃業はメディアで報道されると伊豆高原ビール株式会社が新会社を設立して
運営することが決まり、2015年5月14日から無事、新体制で営業することになったそうです。
800年も歴史のある温泉・・・・ぜひ皆さんも行ってみてはどうでしょう?


湊山温泉のHPはコチラ ⇒ http://www.jin.ne.jp/m-onsen/


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