【真田丸ゆかりの地めぐり】
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前回の歴史ヒストリアの記事で
真田幸村と伊達政宗の歴史的なつながりについて記事にしました。
伊達政宗は武力だけではなく政治(謀略)にも長けており
子孫の伊達宗城は幕末の四賢侯と呼ばれるほどの名君だったわけです。
伊達宗城については幕末ヒストリアで記事にしたいです。
ちなみに伊達宗城は伊予宇和島藩の藩主。
あれ、おかしいよな?伊予宇和島って愛媛県やん?
なんで宮城県じゃないのに伊達のお殿様なん?・・・・なんて疑問はね
またの次回にしたいと思います!


余談ついでに
ついに【西郷どん】に大村益次郎が登場しましたね。
伊予宇和島藩に滞在していたんですよ。
先見性のある伊達宗城が長州藩の藩士(といっても最下層)の大村益次郎を
引き抜くんですよ、んで大村益次郎は官軍の総司令官となり
天才的采配を振るい圧倒的な幕府軍を次々と蹴散らしていくのです。
ああ早く記事にしたい!
大村益次郎とシーボルトの娘との悲恋を記事にしたい!



西郷隆盛も一目も二目も置いた大村益次郎
彼も時空を超えて伊達家にゆかりのある人物なのです。
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朝食を食べて仙台市内ループバスを活用します。
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仙台城にしたって4回目ぐらい。
でも今回は初めてバスで向かい、途中の景色を楽しむんです。
別に名勝じゃなくたっていいんです。
地域の人の生活感とかを感じることができれば・・・・・。
さるるの住んでる遠く離れた場所に
当たり前だけど生活している人がいるんやなあ。



すっごい有名な銅像
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そして仙台といえばもうひとつの歴史ヒストリア!



【坂の上の雲ゆかりの地めぐり】
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仙台といえば【坂の上の雲ゆかりの地めぐり】・・・・
日露戦争ヒストリアでもあるんですよ。
帝国陸軍第二師団の本拠地で、あの愚将と名高い
あの乃木希典 (旅順要塞攻略の司令官)が師団長だった時期もあります。
日露戦争では戦史上、稀有な師団規模の夜襲を行い
【夜襲の仙台師団】との呼ばれました。


アジアの覇権を巡った戦争
日露戦争・・・・今の若い子からでは想像もできないでしょうが
国家存亡の危機が迫った時、日本という国は
たとえそれが中国であれロシアであれアメリカであれ
他のアジアの国々と違って従属ではなく戦いを決意する国だったのです。
そう考えれば現代でも日本の軍国主義化を警戒する気持ちも
なんとなくわからんでもないけど・・・・ねぇ?


日本がロシアに勝てたのは
日本が軍事的にロシアより勝っていた、というよりは
ロシアの国内問題によるところ大です。
中国大陸における地上戦ではロシアはナポレオン時代からのお家芸
後退戦術、後退しながら相手に被害を与えていき
敵国が攻撃限界点に達し、補給が滞ったところに反撃に出るという
ナポレオンもヒトラーもこの戦術で敗れました。
日本は決戦主義、1回1回の戦闘に全力攻撃するわけで
大きな損害を出しながら前進していきます。


当時の日本は現代と違い
幕末からの国家存亡の危機を乗り越えんと
恐ろしく外交能力が高いです。
日英同盟の締結、ロシア国内の攪乱を誘導する謀略の数々・・・・。
財政破産寸前まで海軍力の強化に心血を注ぎます。


地上戦でも艦隊戦でも
日本とロシアでは兵隊の士気がまるで違うわけです。
明治になって初めて【国民】となった高揚感を持った日本兵と
階級社会の低層階級が大方を占める、社会に不満を持つロシア兵と
その差は歴然であったといいます。
それでも日本陸軍が大損害を被ったのは
上層部の無能さが原因でした。



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日本海軍、陸軍ともに
この日露戦争の奇跡に近い勝利を正しく実証せず
実証しようともせず、戦争という兵器の性能や兵站(補給)、作戦面と
緻密な計算が必要とされる戦争において
性能の差、物量の差を【精神性】で補おうとする性癖が生まれ
やがて太平洋戦争に突入し悲劇が生まれます。


一部の天才的な日本人たちが
あらゆる分野(軍事・政治・技術)で命を懸けて勝ち得た
奇跡のような勝利を
後世の日本人がそれに胡坐をかいたのです。
くどいようですが
太平洋戦争に軍部は本当に愚かでした。



仙台城っぽいのは入口のここだけかな?
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伊達政宗生誕450年らしい
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お城スタンプゲット!
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