【黒田官兵衛ゆかりの地めぐり】
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久しぶりの【黒田官兵衛ゆかりの地】シリーズ。
今回は黒田官兵衛の生まれた姫路から北の方にある小野市です。
さるるの家から車で40分ぐらいかな?
そしてさるるの【精神と時の部屋】も小野市にあります。(謎)
さてさて歴史ヒストリア行ってみましょう。
 
 
秀吉の親衛隊だった【一柳直末】という武将がいます。
生まれは美濃というから長浜市あたりで秀吉に登用されたのでしょう。
そうなると石田三成と同様、近江衆だったわけですね。
秀吉政権は近江衆と尾張衆の対立の構図があり
それがそのまま関ケ原の戦いまでその構図は続くことになります。
 
 
【尾張衆】(秀吉の奥さん派)
秀吉が出世する前からの家臣団で武闘派が多い。
なんせ秀吉の出世を実力で切り開いていったのが尾張衆ですな。
代表格としては福島正則かな?
 
 
【近江衆】(淀殿派)
主に秀吉が長浜城主になった前後に登用された家臣団。
官僚として能力の高い文官のイメージがあるけど
戦争になったら、けっこうソッチも強いっていうのが近江衆です。
代表格としては石田三成でしょう。
 
 
まあそれは余談程度として
一柳直末は秀吉の親衛隊(黄母衣衆)にまで出世します。
んで、どこで黒田官兵衛とゆかりが出てくるかというと、その奥さんが
黒田官兵衛の妹(心誉)だということです!
しかし一柳直末は小田原城での戦いで銃弾に当たって戦死・・・・・。
 
 
 
その一柳直末が祀られている
磐代神社
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一柳の子孫が紆余曲折を経て小野藩を設立。
武将として活躍した一柳直末を祀った神社が小野駅そばにあります。
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なんや最近に建て直した感があるような・・・・・。
(昭和41年の台風で倒壊したらしい。)
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裏には当時のものであろう石材が無造作に置かれています。
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黒田官兵衛に引き取られた妹の息子は
黒田長政の幼名と同じ松寿丸と名付けられましたが一説によると
謀殺されたという説がります。
跡取で揉めないため・・・・みたいな説でしたが根拠は乏しいかな?
そのもうひとりの【松寿丸】も祀られているらしく
なんせ磐代神社は黒田官兵衛の義理の弟と甥っ子を祀っている神社なのです。
ちなみにここで歴史ヒストリアは分岐していきます!
 
 
 
さるるは観てへんけど
NHK朝の連続ドラマの【朝がきた】の主人公は
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一柳家(小野市出身)の子孫らしいです!
(ドラマ観てへんけど)
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小野藩は小さいながらも教育に力を入れた藩だったそうです。
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小野藩の御殿跡は現在は小学校が建っています。
屋根が武家屋敷風に造られてますなぁ。
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神戸電鉄小野駅のそばです。
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磐代神社のすぐ横の好古館も立ち寄ってみました。
小野市ってひなまつりの町なん?
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【黒田官兵衛ゆかりの地シリーズ】はコチラ
 
 
 
 
(おしまい)