【坂の上の雲】ゆかりの地めぐり
イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
【坂の上の雲とは】(作・司馬遼太郎)
 
まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。
明治維新を成功させ、近代国家として生まれ変わった極東の小国・日本。
時に世界は帝国主義の嵐が吹き荒れ
極東の端に位置するこの国も西洋列強の脅威から無縁ではなかったが
逆境の中にありながら、誕生したばかりの小国には亡国の悲愴さを吹き払う壮気があった。
近代化を遂げて史上初めて「国民国家」となったこの国は
民族が一体となるその昂揚感の下で
国民の端々までもが列強に伍する強国への飛躍を夢見て邁進し
松山出身の三人の若者も、同様の気概を抱いて世に出ようとしていた。
陸軍に入り、騎兵部隊の創設に生涯をかけることを誓った秋山好古。
好古の弟で海軍に入り、海戦戦術の開拓に人生を捧げる決意をした秋山真之。
そして真之の親友で文芸の道に入り
俳句・短歌といった伝統文芸の近代化を目指さんとする正岡子規。
彼らもまた多くの若者達と同様の志を持ち
さながら坂の上の青い天に輝く一朶の白い雲を目指すが如く
昂揚の時代の中でその一歩を踏み出そうとしていた。
 
 
 
第0次世界大戦とも呼ばれる
【日露戦争】
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
近代戦争とは戦場一場面だけではなく
国家と国家の総力戦(軍事・政治・経済)へと変化していきます。
また、当事国だけではなく同盟国も間接的・直接的にも参加することで
近代戦争はより大規模となっていきました。
それが第1次世界大戦、第2次世界大戦と呼ばれるようになりましたが
この日露戦争はまさに第0次世界大戦と呼べる戦争であり
日本がロシアに植民地にされるか
朝鮮半島を植民地にするかという歴史的選択を迫られます。
んじゃあ、なんで朝鮮半島を植民地にする必要があるの?
 
 
ロシア帝国は南下し勢力を伸ばし
ついに朝鮮半島まで支配下に治めんとやってきます。
それが日本にとって地政学的に重大な脅威。
朝鮮半島の次は日本を狙っているのは明白であり、先手をとって
朝鮮半島を日本の影響下(植民地化)におかねば
日本存亡の危機だったのです。
朝鮮半島からしたら日本が来るかロシアが来るかの違いであって
いずれにせよ迷惑な話なのですが
これが地政学的に強国に挟まれた小国の悲劇なのです。
以下、余談ながら
 
 
日本における沖縄も同様です。
これも歴史を勉強すれば自ずと結論が見えてきます。
中国とアメリカに挟まれた日本、その緩衝地帯であり軍事拠点である沖縄。
日露戦争当時の朝鮮半島と同じなのです。
それを踏まえて沖縄の基地問題をみてみると、やや違った見方ができます。
いかに「基地の県外移設」が感情的で不可能であるか
感情では基地はなくなりません。
そこを踏まえたうえで考えていかねば解決はできないと思います。
必ず中国が沖縄を狙ってくることは歴史的世界的にみても常識の範疇であり
日本は(非常に酷なことではあるが)沖縄県民の感情とは切り離した
グローバルな対応をせねば
モンゴルやチベットのように沖縄がなって、さらなる悲劇が生まれます。
 
 
余談はここまで。
 
 
簡単に説明しちゃえば
【ロシアを日本国内で迎え撃つより朝鮮半島で迎え撃つ】
日露戦争はそれが発端だと理解しましょう。
この日露戦争が理解できれば
なぜ小さな日本が中国大陸やアジア方面に進出したか
日本は戦争好きの国ではなかったことや
自存自衛のために進出したことが理解することができれば
感情論ではない日本史を正しく見れる、さるるはそう常日頃から思っております。
正しく歴史を知った上での個人的感情を持たねばダメやん?
歴史、社会、恋愛、仕事もそうやけど本質を掴んだうえで個々の判断があって
そうでなかったら周りが騒いでるから流される、そういう人間になります。
 
 
あらまた余談に突入してるわ。(苦笑)
・・・・というわけで【坂の上の雲】ゆかりの地スタートです!
 
 
 
 
2016年のことですが
愛媛県松山市へと到着しました。
イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
松山城っていう名前のお城は日本各地にあって
区別するために伊予松山城とこのお城は呼称されています。
(別名は金亀城とも勝山城とあります。)
当時はお城スタンプを収集していなくって、2年後にリベンジを果たすことに。
それは後日譚ですがまず最初に到着したのが
 
 
 
あれ、天守閣はどこなん?
イメージ 4
 
 
 
 
 
自動販売機も道後温泉仕様ぞな
イメージ 5
 
 
 
 
 
ここはお城の敷地内やけど
天守閣はロープウェイか登山せにゃならんらしい。
イメージ 6
 
 
 
 
 
恋人たちの聖地らしい
さるるって何気に恋人たちの聖地って制覇していくよね
イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
小豆島にも大阪にも尾道にもあったよね
ほか・・・にもあったような気がするけど忘れちゃったけど
認定する委員会があるんよね、たしか。
あ、福岡タワーにもあったよ!
でもさあ、なんでもかんでも恋人たちの聖地ってさぁ
カップルが行きそうなところに立てても芸がないし、ありがたみもない。
所詮は若い子向けの薄っぺらいものだろ?
 
 
 
とか思っていたら・・・・・
イメージ 8
 
 
 
 
 
 
平成4年の松山城発掘調査時に
帝政ロシア時代の金貨が発見されました。
その金貨にはロシア人男性と日本人女性の名が彫られていて
調査するとロシア人男性は日露戦争の捕虜であり
日本人女性は看護師だったことが判明、実在する人物たちでした。
この金貨は国境を越えたラブロマンスとして話題に・・・・
100年以上前の壮大な愛の物語が!
 
 
 
イメージ 9
 
 
 
 
 
 
いやしかし待てよ?
それが松山城の発掘調査の時に見つかった、と。
まさか当時の地層に埋もれているわけはないし
(時代の整合性がとれない。)
ようするにその金貨は落ちていた、ということになるよな?
2人の名前を刻んだ金貨・・・・なぜ落ちて?
 
 
 
ここからはさるるの推測が多分に入るけど
心して読んでほしい♪
イメージ 10
 
 
 
 
 
 
当時、日本ロシアの関係は最悪
そりゃ戦争してるんだから当たり前のことなんやけど
捕虜のロシア人と日本人が結婚するなんて
お互いの置かれた立場も含め、当時の世間が許すわけもなく
自由恋愛という社会的通念も希薄だったはず。
 
 
ロシア人捕虜が町に出歩けるわけもなく
当然、捕虜収容所で2人は捕虜と看護師として
出会ったのでしょう。
 
 
そして悲恋に終わった。
 
 
看護師さんはロシア人捕虜への想いを
断ち切るために、断ち切りたくて金貨を投げ捨てた。
その場所がここ、二の丸だった。
だとすれば当時・・・・日本人看護師さんはどんな気持ちで
ここまで坂を上がっていったのでしょうか。
 
 
それを想像すると
歴史ヒストリアの醍醐味を感じることができます。
場所を間違えてヨカッタよ。
 
 
 
 
よう見たら石碑に金貨が
2年前はまるで気づかんかったわ・・・・・!
イメージ 11
 
 
 
 
 
 
 
ちなみにこの記事を作成するにあたり
ネットで調べてみると
 
 
金貨が見つかったのは井戸の底からで
その金貨にはペンダントにしていた形跡も残っていたそうです。
そして金貨には「タケバカナ」「ミハイルコステンコ」と刻まれており
 
竹場かなさんは日本赤十字社第80救護班に所属
ミハイル・コステンコ中尉はロシア陸軍第3東部シベリア砲兵旅団所属
金貨は【坂の上の雲ミュージアム】に展示しているらしい。
さるるは思いっきり見逃してるわ・・・・。(涙)
 
 
 
 
 
 
 
(つづく)