【幕末ゆかりの地めぐり】
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若き日の坂本龍馬の足跡を訪ねていきましょう。
血気盛んな坂本龍馬、初恋をする坂本龍馬・・・・・いざゆかん!
壮大な歴史ヒストリアッッッ!!




土佐で起こったクーデター
【永福寺事件とは!?】
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永福寺という寺の門前で上士・山田広衛と茶道方・益永繁斎
節句祝いの宴会の帰りに永福寺という寺の門前で郷士・中平忠次郎と肩がぶつかりました。
忠次郎は非を認め謝罪しましたが、相手を郷士と見た山田は酒の勢いもあり
忠次郎を罵倒し、口論の末に逆上した山田は抜刀し忠次郎を殺害してしまいます。



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上士と郷士では同じ侍でも天と地ほどの身分差があり、上士に逆らえば
犬のように殺されても文句を言えない、それが当時の土佐の身分社会でした。
この事実を忠次郎の兄・池田寅之進が知り、駆けつけると
山田は近くの小川で刀を洗っているのを見つけ出し、池田寅之進は背後から斬り掛かり
山田と、その連れ添いを殺害し復讐を果たしました。



「お~い!竜馬」では
仇を討ったのが弟という設定になっていました。
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これだけの事件ともなると翌朝には多くの人々が知るところとなり
山田の家には上士たちが、寅之進の家には郷士たちが集い出し、一触即発の事態に。
この時、郷士側に当時25歳の坂本龍馬も参加したと伝えられていますが
なんだか坂本龍馬が参加していたっていうのが意外でしたね~・・・・・・。
でも若い頃だからそういう時期もあったのでしょうね。



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内乱は幕府による領地没収されてしまうため
土佐藩としてはこの対応に苦慮しましたが、結局は寅之進の切腹をもって終結。
事件後、土佐藩は山田の父の新六を謹慎処分にします。
弟の次郎八には家督の相続を許す一方で郷士の池田家は格禄没収という処分となりました。
この処分に郷士の人々は憤り
これより半年後に【土佐勤王党】を結成する大きな要因となりました。




その現場となった永福寺
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永福寺事件を説明する案内表示はなく
お寺の人たちが住んでいる家があって、車が駐車されていて
小さな庭園にセミの鳴き声がしていました。
そんな大事件があったとは想像もできない場所でした。


さらに
坂本家代々の墓へ。


途中で【平井収二郎の生誕地】へ。
地図を観ながらでしたけど、けっこう迷いました。
「平井収二郎・・・・だれやっけ?」ってなもんでしたが、武市半平太と一緒に
攘夷運動を政治レベルで斡旋していた人物でした。
結局は山内容堂に言うたかて無理と判断して、無許可で青蓮院宮令旨を請いて
藩政改革を迫るが自体が明るみに出て山内容堂の逆鱗に触れ、切腹を命じられる。
土佐勤王党では珍しく上士格だったようです。
まあ・・・・あんまり知られていない人物ではないような気がするけど)



こりゃ地図があってもわからんよ。
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平井収二郎の妹・平井加尾
坂本龍馬の初恋の人、という説があります。
その根拠は・・・・?


龍馬が加尾に男装用の身支度を調達するように指示する文書が残っており
加尾はこれらの品を用意したが、結局この時は龍馬は脱藩を決行せず
後に沢村惣之丞とともに脱藩。
兄・収二郎から加尾に対して「龍馬からの相談には迂闊に乗るな」と咎める文章が現存します。
脱藩の手助けをしたら家族にまで罪が及ぶというのに
危険を顧みず竜馬のために協力をする、また竜馬も協力をお願いしている状況から
男女の関係があった・・・・・と想像できなくもないですね。




「お~い!竜馬」では初恋の相手として
加尾ではなく加代が登場します。
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おそらくは平井加尾がモデルなのでしょう。
平井加尾は上士の娘、坂本龍馬は郷士なのですから
初恋説】が真実だったとしたら身分を超えた恋愛だったということになりますし 
土佐藩のロミオとジュリエットともいえるのかもしれません。


「お~い!竜馬」では2人は結ばれることはありませんでした。 
加代は江戸に嫁いでいき、愛を感じない夫が実は攘夷活動家として 
立派にその最後を遂げたことを死後に知ります。
そして、自分を大事にしてくれた夫を真剣に愛さなかったことを後悔する場面があります。
なかなか深いシーンだと思います。




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