姫路が生んだ天才軍師
【黒田官兵衛】
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若き日の黒田官兵衛がまだ小寺家に仕えていた当時
姫路(播州)をとりまく情勢が変化してきます。
姫路を中心として西は毛利家、東は織田家が勢力を伸ばしてきており
播州の豪族たちはどちらにつくか迷うことになります。
迷ってみたものの、その大半は西の毛利家に流れつつありました。
毛利家の安国寺恵瓊という優れた外交官がいたことと
そして毛利家の義理堅さに頼ろうとしたのです。


当時の織田家といえば凄まじい勢いで天下統一しそうだったのですが
織田信長の部下に対する冷酷な仕打ちを誰もが知るところで
織田家に味方・・・・というより従うことに拒否反応をほとんどが示しました。
「用が済めば領地没収、または放逐される・・・・・。」


今でいうところの京セラ方式ですな。




本能寺の変も
明智光秀に対する仕打ちが招いたという説
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天皇すら排除しようとした織田信長
それだけは許容できない明智光秀・・・・・いじめられて謀反、って
まあそれは直接的な原因ではないと思いますがね。
「1582年(イチコパンツ)履いてた織田信長」で覚えよう♪


それはさておき


黒田官兵衛は織田家の家風に惹かれたといいます。
才能のある者はドンドン出世できる、才能のある人間にとって
これほど蠱惑的な魅力はないでしょう。
もちろん織田家の近代的軍隊の強さを見抜き、織田家が勝利することを
黒田官兵衛は予測したのです。





織田信長のいる岐阜城へ拝謁しに行きます。
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織田信長から日本刀
【圧切長谷部(へしきりはせべ)】を拝領されます。
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秀吉も驚くほどの名刀
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見えてきました岐阜城!
早篭(タクシー)から撮影する。
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かつて斎藤道三の居城でありバカ息子が守っていたけど
バカ息子すぎて部下の竹中官兵衛が十数人で岐阜城を乗っ取ってしまいます。
織田信長が美濃の国の半分あげるから岐阜城を明け渡せ!っていうけど
竹中半兵衛はアッサリとバカ息子に岐阜城を返してしまいます。
「ちゃんとせんかい!」っていう訓戒を込めての行動だったと伝えられています。
(その後、竹中半兵衛は秀吉に仕え、黒田官兵衛の師匠的な存在となります。)




織田信長?
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織田信長が美濃を平定後、この周辺を井口と呼ばれていたのですが
中国の縁起の良い言葉の「岐阜」と改めさせました。
(諸説ありますけどねえ・・・・・・。)
ちなみにこの稲葉山、現在は金華山と呼ばれているんだそうです。
それは知らんかったねえ~♪





ロープェイで山頂まで上がることになります。
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おおっ!
ここが秀吉が瓢箪を掲げた場所!
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難攻不落の稲葉山城(岐阜城)を落とすため
崖をよじ登ってここから稲葉山城に侵入、城門を内側から開きます。
ここで味方に知らせるために瓢箪を掲げて合図しました。
秀吉が命を賭けた大勝負、この場所だったんだなぁ・・・・・・。




岐阜城の天守閣
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大阪城や小田原城と同様、完全に再建です。
なので特にお城に関してはどうこうという感慨はなかったのですがね
なんで再建かって、天下を取った徳川家康が解体させたそうです。
織田信長や秀吉の威光を忌み嫌ってましたしねえ。


関ケ原の戦いの前哨戦
この岐阜城も西軍東軍、どちらにつくかと迷いに迷い迷走・・・・・・。
その時の城主が【織田秀信】、織田信長の孫です。
(岐阜城最後の城主ってことやね。)




ほらあの!清須会議で秀吉が登場した時に!
抱っこしてたチビッコ(三法師)ですよ!
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結局、秀吉に利用され小城のお殿様に成り下がって
関ケ原の前哨戦では西軍についてみたけど、降伏開城・・・・・・。
高野山に追放されたんだけど、祖父の織田信長が高野山を攻めてたから
入山を散々待たされた挙句に入山したけど迫害されまくる。
入山して5年後・・・・・26歳の若さで亡くなります。
(自害とも病没ともいろいろな説があります。)




お城から見える濃尾平野
昔、学校で習ったなぁ・・・・と思い出していました。
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美濃平野を眺めながら「天下布武」を誓った
織田信長の気持ちがわかるような、わからないような・・・・・♪
素晴らしく見事な眺めでありました。


ロープウェイで山を下りる。
あ・・・・もう12時・・・・・お昼ごはんどうしよう・・・・・。
関ケ原に向かわないとね~。




さるる
「・・・・・・・ウソだろ?」






織田信長キタァァァァァァァッ!
(しかも圧切長谷部まで持ってるやん!)
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さるる
「あっ、あの・・・・・写真・・・・・撮ってもいいですか!?」


織田信長さん
「ふむ、かまわんよ?」


さるる心の声
(あ、キャラ設定もちゃんとしてるんだ・・・・・。)


織田信長さん
「どこから来たのじゃ?」


さるる
「え、えっと・・・・・姫路です!」


織田信長さん
「おお、そちが黒田官兵衛か、わざわざご苦労である!」




すげえ!!
もうコレさるるが姫路から来たってことで、もうコレ!
さるるが黒田官兵衛の設定ィィィ~ッ!?





山内一豊さん(画像左)もおられました。
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織田信長さん
「ふむ、これは電子伝書鳩といってだな?」


さるる
「・・・・・・はい?」


織田信長さん
「世間ではツイッターと呼ばれているようだが。」


さるる
「あ、はい!」


織田信長さん
「よかったら覗いてみてくれ。」


さるる
「はい!わかりました!」




織田信長さんから
ツイッターのアドレス?が書いてあるポストカードを頂いて
何度もお礼を言って帰りました。




織田信長さん
「ほう、これから関ケ原か。石田三成によろしく伝えてくれい。」





すげえ・・・・これだから旅はやめられない。
さるるは万感の思いを込め岐阜城を後にしたのでした。







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