【真田丸ゆかりの地めぐり】
ついに今回で最終回を迎えることになりました。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/86/ad/j/o0637044514546451892.jpg?caw=800)
世間では、さるるが思っている以上に真田丸ブームでした。
後半しか観てないさるるですが、そこまでブームになるのは何でかな?
やはり三谷幸喜の演出がライト層を掴んだのでしょうけど
さるる個人の見解としては現代社会に生きる社会人の等身大な部分があったから・・・・・。
そんな気もするんですよね。
戦国時代で【真田家を守る】ことに奔走して
己の才覚だけではどうしようもない時代の流れに翻弄され、出会いと別れがあって
そして最後は【自分らしさ】を貫き通す・・・・・・滅びの美学も相まってですね
そんな真田幸村に共感であったり、憧れが視聴者にはあったんちゃうかな?
そもそも、真田幸村(十勇士)が人気が出たのも庶民の講談から始まったそうですし
さるるがエラそうに講釈垂れんでもそうなんでしょうねえ。
(軍師官兵衛もそういう意味では現代人の生きる姿が投影されていましたよね。)
それはさておき
【大阪夏の陣】で最後の戦いが始まります。
この時点で豊臣方の戦略的勝利(豊臣政権の復興)は不可能。
仮に戦術的勝利(野戦で勝利)しても和平交渉もままならなかったでしょう。
つまり大阪城の堀を埋められた時点で敗北は決定しています。
これは歴史を結果論で振り返らずとも、当時の武将たちの大半は理解しています。
現代人からすれば理屈に合わないことですが、そこに豊臣家への恩であったり
武士として華々しく散るために死に場所を求めていたり
それぞれも信念に向かってその命を燃やしていくことになるのです。
庶民が豊臣方に同情的なのはそのせいもあるでしょう。
(もちろん、勝ち目がなくなれば脱走する兵士もたくさんいました。)
さあ、最後の戦いです。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/18/df/p/o0800080014546451896.png?caw=800)
茶臼山で陣を張り、4倍もの敵を引きつけて
その大軍の隙をついて持てる全てのチカラを投入して家康の首を討つ。
相手が素人ならいざ知らず、戦国時代【東海一の弓取り】と言われた徳川家康。
野戦では最強クラスの武将。(城攻めは超ニガテだったらしい。)
すでに【作戦】ではなく【賭け】と表現した方がよいでしょう。
戦いが始まり
ギリギリまで敵を引き寄せるはず・・・・が
毛利勝永が鉄砲を撃ち始めて中止命令を出すけど、もうどうしようもなくて
しょっぱなから作戦は瓦解します。
DTばりに早撃ちだったわけね
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/70/dd/j/o0611040614546451899.jpg?caw=800)
真田幸村は死を覚悟したはずです。
息子(大助)を大阪城へ、秀頼に出陣を促しに戻らせましたが・・・・・。
まあこれも諸説ありますが道連れにはしたくなかったのかも。
でも秀頼と一緒に自刃しちゃうけど・・・・。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/07/ec/j/o0450030014546451902.jpg?caw=800)
もう作戦もクソもあるか
ただ突撃して家康の首を討ったるど!
(って思ってたかも)
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/0e/49/j/o0600040014546451904.jpg?caw=800)
勝利を確信した兵士と、死を覚悟した兵士。
勝利を味わいたい兵士は命を惜しむものです、家康軍は数で勝っていますが
そこいらの差もあったのでしょうか、3回も突撃してついに、ついに
家康の本陣へ突入に成功します!!
「我こそは真田幸村!」と名乗る人間が各戦線で現れたり
「浅野家が裏切ったぞ!」と叫びながら突撃したり
ちゃっかり策を練っとります。
家康本陣は急襲され
その猛攻の前に家康は切腹を覚悟しましたが・・・・。
家臣たちが必死になだめるほどでした。
やがて家康軍が反撃に転じ
予備兵力のない豊臣方は全戦線が崩壊寸前・・・・・・。
真田幸村は陣取っていた茶臼山のそばにある安居(井)神社へ退却します。
そこで名もなき兵、いや西尾宗次に討ちとられてしまいます。
安居(井)神社
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/a0/b0/j/o0666050014546451907.jpg?caw=800)
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/c3/49/j/o0666050014546451910.jpg?caw=800)
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/96/15/j/o0656049414546451913.jpg?caw=800)
余談かもしれんけど
この真田幸村の持ってる銃はね
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/a3/5a/p/o0500028214546451917.png?caw=800)
これ本当の話でして、当時最新鋭の『宿許筒(しゅくしゃづつ)』といいます。
夏の陣以後は紀州藩が戦利品として持ち帰りました。
んで第二次世界大戦後にアメリカ人将校が武装解除や、って持って帰ってしもたん。
それをなんと20年も交渉して澤田氏が400万円で買い戻したのです!!
こうして真田幸村の伝説は幕を閉じますが
豊臣びいきだった大阪では真田幸村を讃える談義が流行りました。
もちろん、お上の目が光っているのでこっそりと。
江戸幕府が倒れた明治になると真田幸村の物語が人気を博し
【真田十勇士】の物語の骨格が出来あがります。
真田十勇士はモデルはいますが、基本的に真田幸村以外は架空です。
残念ながら、歴史上には存在しません。
(え、じゃあ猿飛佐助も・・・・・そうなんよ、そんな忍者はいないんよ。)
でも三谷幸喜の作品やん?
猿飛佐助を出しちゃってるんだからさ、もういいやん
真田十勇士を出しちゃえば!って思ってたけど最終回・・・・・・。
そう思っていたら!!
【真田十勇士】
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/af/79/j/o0774044014546451920.jpg?caw=800)
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/ce/96/j/o0640042814546451923.jpg?caw=800)
これ、あんまりネットで話題になってませんよね?
最終回を観た人で気づかんかった人もおるんちゃうんかな?
本当にちょっとだけしか出てこんかったからさぁ・・・・・。
あ、でも【真田丸】の真田十勇士はね
正式名称を【ダメ田十勇士】ということになっているんです。
大河ドラマ宣伝用のショートムービーの主人公たちが本編に登場したわけです。
けっこう、そのショートムービーを見てからこの最終回を観ると
なんだか真田幸村が大好きで命がけの【ダメ田十勇士】が愛おしくなるよ?
この中にさるるがいても違和感なさげ・・・・・・。
スペシャルムービー
【ダメ田十勇士】
これは大河ドラマではない。「真田丸」には登場しない、8人の物語。
歴史に名を残す戦国武将ではないけれど、
真田様が大好きだから。真田を愛する仲間だから。
歴史に名を残す戦国武将ではないけれど、
真田様が大好きだから。真田を愛する仲間だから。
(NHKのHPより)
動画はコチラ
(けっこう最後泣けるよ)
ショートバージョン
ロングバージョン
【真田丸ゆかりの地めぐり】
これにて終了!
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/2f/2e/j/o0739055414546451927.jpg?caw=800)
後藤又兵衛のルーツは姫路だよ!
お母さん(淀殿)と時代に翻弄された秀頼・・・・・。
大阪夏の陣で徳川家康は死んでいた!?
真田幸村と徳川家康が陣取った場所!
真田のロマンは抜け穴にあり!
真田丸の真実の姿は!?
大阪五人衆、毛利勝永のゆかりの地!
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真田幸村、落命の場所へ・・・・・!