学びの旅 in 福島~2016春② | 仙台Sawa's Project・佐藤さわのブログ

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2016年、コミュニティカフェSawa's Cafeの3年の歴史に幕を閉じ、脱・大量消費社会を目指すSawa's Projectを始めました♪

この社会を変えることができると本気で信じています。
さぁ、あなたもご一緒に。

学びの旅 in 福島~2016春①のつづき


蓮笑庵をあとにして、川内村へ。
「かわうちの湯」でお風呂に入ったあと、
「いわなの郷」で秋元さんと待ち合わせ、秋元さんのおたくへ。

秋元さんのおたくは、
東京ドーム3個分の敷地にある、でも、普通のおたくです。

でも、敷地内には、鶏小屋があり、畑があり、
色取りどりの花が咲き、
森があり、沢があり、
天然記念物のモリアオガエルの卵や、
様々な山菜、わさび・・・・

そして、お父さんが作ったターザンロープまでw

本当に自然豊かな場所。

2011年の震災、そして福島第一原発の事故。
避難指示がでて、ご夫婦も茅ヶ崎の集合住宅で避難生活をされました。

おふたりの「川内に帰りたい」思いは募り、
避難指示が解除になる3ヶ月前に、川内に自己責任でお戻りになりました。

でも、避難指示が解除になった今も、
まだまだ帰ってきていない人がたくさんいます。

そして、秋元さんのお孫さんたちは、
震災後一度も秋元さんたちのもとを訪れることができずにいます。

もちろん、線量が心配なこと、食べ物による内部被曝が心配なこともあるでしょうが、
それらの心配がほとんどなくなった今でも、
福島に帰ったことで子供達がイジメられる可能性がある。
放射能を浴びてきた人から放射能がうつるといったデマや風評被害がいまだにあるんだそうです。

お母さんは涙をこぼしながら話します。
「じいじとばあばのうちに行きたいなぁって、孫が電話で話すんですよ。
おいで、待ってるよって言うけど、まだ来させられない。
孫たちが来れるようになるまで、
私たちの中での震災は終わらないように感じています。」


お父さんはこう話されます。

「川内村にはなにもない。
なにもないからこそ、かけがえのないものがある。」

「ここで楽しんで生きていることを見せつけてやろうと思ってる。
死ぬときに、オレはなんのために生きてきたのかなぁなんて思うような人生は送りたくないから。
自分が楽しかった!と思えれば、それでよいんだ。」

お父さんは、森に行者にんにくやきのこを植えたり、
大工仕事をしたりを、本当に楽しんでやってらっしゃる様子。

キラキラしています。

「まだまだやりたいことたくさんあるんだけど、時間がなくてね」と笑ってました。


なにもないからこそ、かけがえのないものがある。

今ある場所で、とことん楽しむ。




学びの旅 in 福島~2016春③