執着しないこと | 仙台Sawa's Project・佐藤さわのブログ

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2016年、コミュニティカフェSawa's Cafeの3年の歴史に幕を閉じ、脱・大量消費社会を目指すSawa's Projectを始めました♪

この社会を変えることができると本気で信じています。
さぁ、あなたもご一緒に。

恐怖はどこからやってくるかって話を、こないだ川上くんに教わりました。

なにか・・・例えば「◯◯」に恐怖を感じるとしたら、そう感じる理由は、
1.◯◯を知らないから
2.以前にも◯◯でいやなことがあったから
3.◯◯により全部失うかもしれないから
の3つのうちのどれかだそうです。

妙に納得。

恐怖なんて、できれば少ないほうがいいし、
人間の(誤った)行動基準が恐怖に基づいてることが多いなら、
これら3つをなるべく減らせば、けっこー無敵になれるかも?

1は勉強したり調べたりすればだいぶ克服できそうだね。

2は、その「いやなこと」って、ほんとにそんなにいやなことだった?って考えてみるといいかも。

3は、「かもしれない」だけだから、そうとは限らないって考えたらどうかな?



ところで、あたしは、執着しなければほとんどの悲しみも訪れないって思ってます。

昔ね、自分のお給料で初めて買ったブランド物のバックとポーチを車上荒らしに盗られたことがあって、
その時に、「所有するから失ったときに悲しいんだ。もう高価なものは所有しない」と決めました(^^;;。

ジャイブ教とかいう宗教は確か、所有を禁じてるからみんな裸なんだよね(笑)。


でも、所有しようとしなくても、手の中にあるものってあるでしょ。

家族とか…友人とか…。
いつの間にか好きになっちゃった人とか?w

それは、失うのは悲し過ぎるし、つらすぎる。

でも、だからといって、そういう人間関係が全然なければ淋しいし…
人間の感情ってのは、本当にやっかいなもんだなって思う。

あと、健康も、いま健康だとしたら、失いたくないね。


まぁそんな感じで、あたし達は、失いたくないものはたくさん持っちゃってるけど、
でも、そうじゃないものもたくさんありそう。

もってるけど、実は、なくてもヘーキなもの。

なくなったら困るなって思ってるけど、それ自体が思い込みに過ぎないもの。

そういうモノやモノゴトへの執着をなるべく減らしたら、
あたし達は、無用な恐怖や悲しみを感じなくて済むんじゃないかと思うんです。

例えば、「人の目を気にする気持ち」とか、「仲間はずれにされるんじゃないかっていう恐怖」とか、「裏切られる不安」とか、「老い」とか、「無駄な責任感」とか・・・。

あったら便利な道具とかも・・・テレビとか、スマホとか、SNSとか。

いま持ってるもの、または、持ってると思い込んでるものについて、
「本当になきゃダメ?」って問うてみると、意外になにかが見えてきそうな気がします♪


あなたのその行動、なんのため?
それは本当に、必要なもの???