所詮はただの「肩書き」に過ぎない | 仙台Sawa's Project・佐藤さわのブログ

仙台Sawa's Project・佐藤さわのブログ

2016年、コミュニティカフェSawa's Cafeの3年の歴史に幕を閉じ、脱・大量消費社会を目指すSawa's Projectを始めました♪

この社会を変えることができると本気で信じています。
さぁ、あなたもご一緒に。

今日はちょっと敵作りそうなこと書いちゃうよーw



いやあのね、最近ほんとビックリするんですけど、
いろんな資格がありますねー!

横文字のなんだかよくわかんない資格が、
世の中にはいっぱい!
(それはあたしが勉強不足だからわからないのかもしれないが。笑)


おそらくはほとんどが民間資格、
お金出せば取れる資格、
逆に言えば、
お金出さなきゃ取れない資格。


もちろん、中には試験に受からなきゃ名乗れないものもあるんでしょうけどね。



そして、これは、あたしの今の環境がら、たまたまかもしれないのだけど、
そういう資格持ってるのって、女の人が多くないですか?



男の人は、会社などの所属組織から肩がきもらってる人が多いです。


そんなもん、個人の人間としての価値とはほとんど結びつかないのに、
そういう肩がきに、自分らを犠牲にしてまですがりついたり、
ひけらかす男の人がなんと多いことか!ということに関しては、
常日頃苦々しく思っていたわけなんだけど、
女も一緒だな…と最近思う。


資格とか 肩がきなんかに頼らず、
素の自分で勝負できる人、世の中にどれだけいるんだろう?


まぁ、実際は、それはかなり難しいことですが。



例えば、初対面の人に手っ取り早く何者なのか知ってもらったり、
逆に他人を「こいつ何者?」って思う時には、肩書きは便利。

とりあえず、その人がちょっとだけわかる。


でも、「とりあえず」のツールであることを、忘れちゃいけないと思う。

肩書きを名乗る側も、名乗られる側も。


肩書きは、いわば、「つかみ」であって、それ以上でもそれ以下でもない。

名乗られる側は、それを超えて相手の本質を見極める力をつけなきゃダメだし、
名乗る側も、肩書きを超えてこられても、素の自分で勝負できるだけの努力をしなきゃ。


スポーツ選手とかは、努力の先に肩書きがついてくるけど、
あたし達の身の回りにある肩書きは、
肩に掲げた後が、本当の勝負だと思う。


あたしは、かつて持ってた「立派そうな肩書き」を捨てた人間だから言えるのだけど、
肩書きだけ立派でも人間としてろくでもないやつ、ゴマンと見てきた。

あたし自身も、肩書きだけの仕事ができてるか、常に自問自答してきたけど、
ぶっちゃけ全然できなかったし、
そのための努力をするほどの情熱を、その資格に対して持てなかったから、結局は辞めちゃった。


今も一応、肩書きでいうなら「カフェ店主」とか「NPO代表」とか、なんだろうけど、どっちも中身はからっきし。

…とても恥ずかしくて、言えたもんじゃないよ。



でも、一日でも早く、胸を張って言えるよう、努力します。


それと、今はまだ、肩書き無しの自分で勝負できる自信もないけど、
そこも、日々精進。




皆さんも、ただの「肩書き」に、どうか踊らされないで。
自分の「肩書き」にどうぞ溺れないで。


本当に大事なのは、そんなもんじゃないはず。


それから、なんの肩書きも持たない人も、どうか腐らないで。
そんなの、あなたの本当の価値ではないから。




しごく当たり前の話なんだけど、とかく忘れがちなことだから、あえて書いてみたよ。