国葬についての賛否はありますが、安倍総理を偲ぶ気持ちと国葬に対する是非とは切り分けて欲しかったです。
反対の意を示す一部の人たちの国葬当日の方法が私には残念でなりませんでした。
「国葬の基準」という議論が起こっていますが、基準と言うのはそれに照らし合わせると結果がおのずと出るものが基準です。
国葬に対して「国家国民に対して多大な功労や功績、貢献があり、それを多くのものが評してる場合」という基本的な考え方以外存在するのでしょうか。
九段下に献花に訪れた方の人数は2万3千人と言われています。実際は複数の場所に設置された他所の献花台も含めるとそれ以上かもしれません。
過日増上寺で行われたお葬儀で多くの国民がご出棺を見守ったあの状況が、どれほどの方が安倍総理の死を悼まれたのかを示しています。
私にはデモに参加した人数よりも献花に訪れた方の人数の方が圧倒的に多いように感じました。
世論調査は不思議なもので逆転してましたが。
反対のデモをするなとも言いません、反対の声を上げるべきでないとも言いません。
けれど・・・黙とうの時間に鳴物を鳴らすとか葬儀当日に会場周辺で声を上げるというのは故人やご遺族に対してあまりにも失礼ではないでしょうか。
世界に対しても日本の醜態をさらしたようなものです。
野党政治家の一部が参列しなかったことや、まさかもって当日のデモに政治家が参加されていた事実について非常に強い憤りを感じます。
「国葬反対の意を示す」という自分なりの正義だと思いますが、私たち国民以上に政治家の皆さんこそ、凶弾に倒れた安倍総理の無念は本来であれば一番解って上げられる人たちじゃないんでしょうか。。
国葬についての議論は岸田総理相手に国会で行えばよいのであって、政敵であっても故人を偲ぶ行為が出来る事こそが日本人の過去のリーダー達の姿だったのではないでしょうか。
松下政経塾1期生でもあり95代総理の野田元総理は「元首相が元首相の葬儀に出ないのは、私の人生観からは外れる。『長い間ご苦労様でした』と花を手向けてお別れする」とおっしゃり参列されましたが、これに対して党は大批判・・・
私は野田さんの行為の方がよっぽど立派で「安倍元総理に対して」思いやりのある行為だと感じます。
これと国葬の是非とを同じにして批判する事がそもそもおかしいのでは・・・
反対の運動をされていた方も、安倍総理にお世話にならなかった国民はどれくらいいるのですか。
閣議決定で決まった事なのだから、せめて当日くらい静かにしめやかに送ってあげて欲しかったです。
安倍総理の亡くなり方がいかなるものであっても、私は「国葬」あるいは「国民葬」に値したと感じます。
逆に安倍総理ですら国葬にならないのであれば、未来永劫国葬というものを我々日本人は経験出来ないかもしれません。
大喪の礼は国事行事たる皇室儀礼ですし・・・
短期政権だらけで、戦後に残した日本の宿題に手をつけずに続いた政治がこの10年ほどで大きく変わりました。
友人代表として弔辞を読まれた菅前総理と2代連続でこれらの「戦後の宿題で未来には残してはならないもの」を一つずつ着実に解決すると共に、日本が世界の中で生き残って行く為の基盤づくりをして行かれました。
在任年数が20年くらいあったのかなと感じるレベルの功績です。
国葬であるない関わらず、日本国家と国民の為におそらく日本一激務の職を務めて下さった人物に弔意を持つ・感じる事は日本人として自然な感情だと私は思います。そのことが国葬の是非に論点をすり替えて批判が行われた事が残念でなりません。
日本の国と国民に尽くして下さった方、多大な功労をして下さった方に対し国を挙げて謝意と弔意をお伝えする国葬はこれからもあって欲しいと思いますし、国葬の執り行う事が出来ない国などあまりにも美しくありません。
少なくとも私は、自分が生きている間に初めて「国葬」を知る事が出来、放送を通じて参加する事が出来、安倍総理に一国民として弔意を示す機会を持てただけでも良かったと感じます。