東京オリンピックより正式種目となる「空手」ですが、清水希容(しみず・きよう)選手の「空手 形」をテレビで初めて見ました。
「形」とは数十種類ある空手の技の形を以下で競う競技です。
①意味の理解
②正確性
③パワーやスピード等のバランス
私自身空手に詳しくなく知識も経験も持ち合わせていませんので、初めて見たひとりの視聴者としての感想です。
「空手 形」とは同じ形を何千回と繰り返し練習し体にしみ込ませ、ただひたすらに鍛錬を重ねる事で見ているものに感動すら与える形を打てるようになるそうです。
その過程を聞くだけでも・・・形を極めるという事は、「守」を徹底して貫く事で最終的に自らの世界観に高めて行く「守破離」の究極形に感じます。
確かに清水選手の演武には心を揺さぶられます。
形を守り、守り、ひたすら守り抜きながら、選手それぞれの心で形を解釈しその世界観を表現してゆく様は武道でもありながら、ある種の芸術でもあるような気がします。
そして、少し気になったので清水選手の事も調べてみました。
空手が大好きで大好きで仕方のない幼少時代だったようです。
そんな清水選手が初めて体験した大きな挫折が高校2年生の時に、先輩達が守り続けてきた連覇を自分が止めてしまった事だったそうです。
その時の事を彼女は「絶望を感じた」と言っていました。
しかし、その「絶望」からの出発を遂げた彼女は高校3年生で初の全国1位を皮切りに輝かしい戦歴を作り続けることとなります。
「敵は自分自身です」
インタビューでのその言葉が印象的でした。
成績で言えば間違いなく世界最強なので、そういう意味でも敵は自分なのかもしれませんが、私にはもう一つ別の意味に聞こえました。
空手・形とは、その形を繰り出す際に目の前に「相手」を想定して繰り出すそうです。
清水選手も目の前に「相手」を作り技を出している訳ですが、おそらくその「相手」が自分なのではないでしょうか。
彼女のあの鬼気迫る瞳は自分をとらえているからこその瞳な気がします。
鬼の境地にまで高めた気迫とは…他人に対しては持てないです。
「空手を楽しむ」を捨て、「空手をとことん苦しむ」姿がそこにはあります。
しかし、「楽しむ」を捨て、「苦しむ」に置き換え「楽しい時以上に頑張る人間」がどれほど強く凛々しく、美しいのか・・・彼女の人生が証明しているような気がします。
東京オリンピック、清水選手そして日の空手選手皆様を心から応援しています!!
美しさすら感じる「空手・形」の動画です!
連覇はなりませんでしたが、彼女の戦いは感動的でした。