先日、芳村思風先生のご講演に行って参りました。

歳月が経ちお年を召されても、先生の姿からは真摯さをただただ感じる2時間でした。

 

私自身の生き方にも大きな影響を与えて下さった先生の書籍ですが、人は私も含め皆、過去よりも成長したいと願います。

 

しかし「成長」とは何で、何が「成長」の物差しになるのか

 

それに対し、自己啓発書等とは全く異なる「人間の本質」「真理ではなく真実の探究」という観点から一つの答えを投げかけられたのが芳村先生だと思っています。

また、芳村先生は「学会」ではなく「財界」で支持された哲学者でもあります。

また、逆に先生の物差し以上に納得の行く物差しが、私にとっては今のところ、この世に存在しません。

 

全ての結果も成功も「行動」によってのみ創られますが、その行動は感性から生まれ、そして行動の質も感性によって決まります。

「感動」と言う言葉はあっても「理動」という言葉がないように・・・

 

感性は自分や他人の行動を促しますが、

理性は行動を促さず、感性からの欲求に修正を加えます。

(この辺りの具体例はブログでは書ききれませんが・・・研修にお越し頂いた方はなんとなくきっと・・・分かっていただけるかと)

理性を身につけることは大切ですが、本質は感性であり、理性とは感性を鍛えるために存在する・・・

当時20歳の私にとっては衝撃的な言葉でした。

 

また、ここからは私の勝手な解釈ですが

私はこの書籍を初めて目にした時に自分が尊敬していた名を残されている偉人といわれる先人達の素晴らしさ、また日本と言う国の「特殊さ」に納得がいきました。

なぜなら、境涯の高い人間だけがリーダーになってきた国は日本だけであり、また境涯の低い人間は例外なく一過性の成功で終わったり、すぐにリーダーの座から引きずり下ろされるのも日本の特徴だと感じました。

だからこそ、日本においては世界でも稀に見る改革「大化の改新」「明治維新」が起こり、何より戦後の復興があれほど急速に成しえたと思うのです。

なので芳村先生の哲学がいかに真実・実学に基づくものかは歴史が立証しているような気がします。

 

哲学という言葉は非常に重苦しい言葉かもしれませんが、哲学とは幸せ追求学であり、常にその追及の中に哲学が生まれて来ました。

なので、哲学に答えは無く、終わりはなく、問い続けることによって答えはどんどん進化します。

答えが進化することを大切にするのが哲学なので、それを一部新興宗教の真理と混同されることに非常に嫌悪感を感じますが・・・その話は少し横において(笑)。

 

芳村先生の哲学も長年に渡り自らの感性論哲学に自らが問い続けられることによって進化しているのだと思います。

人間は完全にはなれないからこそ、その人間が作り出すものもやはり完全ではない、もしかすると先生だけはご自身の哲学に対してもそう思われながらこの40年以上を過ごしてこられたのではないか・・・

先生の2時間のお話の中にそんなふうに感じられる瞬間が何度もありました。

でなければ、あのお年になってあのひたむきな真摯な・・・何より孤高の姿にはなりえないと思うのです。

しかし・・・芳村先生以外の人間が全員口をそろえて「完璧な哲学」といわれるものに対し、もし芳村先生たったお1人だけが自らの創ったものの不完全さと闘ってこられたのだとしたら、先生の胸中とはどれほど壮絶だったのだろうか・・・そんなことを思うとそれだけで込み上げるものがありました。

 

問い続けることを決してやめない孤高の姿を教えていただいた時間でした。

 

 

 

 

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