アテナのブログ

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あとどれくらい生きられるのだろう。


昨年すい臓がんを患い、膵頭部十二指腸切除の手術を受けた母は、

術後ちょうど一年目の6月17日に骨転移が見つかり、

それからひと月足らずの間に、さらに新たな原発がんや皮膚転移も見つかった。



昨年の退院以来、兄の家に暮らす母。

兄嫁とそりがあわず、兄も仕事が多忙なことから、

その後、私が会いにいくと、いつも「寂しい」と泣いていた。


8年前に父を亡くして以来、一人暮らしをしていた母は、

兄との同居を切望していた。


病気をきっかけに、やっと兄と暮らせる日が来たというのに、

母を待ち受けていたのは、

息子夫婦と孫に囲まれながら、ろくな会話もない生活だったなんて。



3月の震災で、父との思い出の家も、

大変な被害を受けたけれど、

それでも、あの家に帰って暮らすことばかりを夢見ているのなら、

もう、これから先私がすべきことは、

ねえ、ママ、

私が貴女をつれて、あの家に帰るしかない。



幸い私の理解ある優しい夫は、

快く了解してくれた。




私と母は決して仲の良い親子ではなかった。


本来、私は、父が大好きで、母が大嫌いだった。

父は海外でも活躍する学者だった。

私は父を、親としてだけではなく、人としても職業人としても心から敬愛していた。

父も私を、まさに溺愛していた。

母は、父の愛情が、自分ではなく娘の私に注がれることが

耐えられなかったのかもしれない。


母は私が物心ついたころから、

「おまえは醜い」といいつづけた。

「よくそんな顔で人前にでられるものだ」とまで言い、罵った。


3歳になるかならないかの子供には到底耐えられる話ではない。


その一方で、父は私の顔をみれば、「かわいい、かわいい、世界で一番かわいい」と言い続けた。


私の心のよりどころは父しかいなかった。

父は、決して感情に振り回されることのない、常に理性的で、穏やかで、驚くほど意思の強い人だった。




父を尊敬する反動か、私は、母の嫉妬や妬みなどという負の感情に盲目的に振り回される姿を心から軽蔑した。




私は大人になってから、

そのトラウマから、

真剣に美容整形手術を受けようと、

一生懸命アルバイトをしてお金を貯めたのだが、

美容整形外科の医師に、

「どこもメスを入れる必要がないので、やめておきなさい」と諭された。

他の数件の美容外科でも、まったく同じことを言われた。

その時交際していた男性にも、

「美容整形したら別れる」と言われた。


いまは、そんな無駄な抵抗をしようとも思わないし、

容姿がどれほど素敵でも、心が伴わなければ意味がないので、

心を磨くほうが、ずっと人生が豊かになると真剣に思っている。



でも、まちがいなく言えるのは、

私の根深いコンプレックスは、すべて母の感情むき出しの態度に起因している。


大嫌いで、もっとも軽蔑すべき人間でしかない母であったはずなのだけれど・・・・・・・・。



そうは思いながら、何をどんなふうに考えても、

いま、私はとても幸せだ。


理解ある優しい夫と、毎日会話の尽きない満ち足りた生活。

「10年後どんな自分でありたいか」をいつも自分に問いながら、

そのために毎日一生懸命になれる自分がいる。

生きていることの幸せを毎日心から実感できる。


もしかしたら、夫が、私の心の空洞を、しっかりと埋めてくれたからなのかもしれない。


だから、私は今、言葉にできないくらい、本当に幸せだ。


生きているって素晴らしいことなのだと思える。


そこで考えると、

この命を与えてくれたのは、まぎれもなく、母なのだ。


こんな至極の幸せを毎日享受できるのも、

母が私を生んでくれたからなのだ。




たとえ、わだかまりが強かろうと、

今は母に感謝をしよう。


さあ、一緒に、あの思い出の家に帰ろう。




痛みや不安に襲われたときは、

私が抱きしめてあげる。


心をこめて優しくさすってあげる。



貴女がすこしでも、自分の人生を幸せだったのだと、実感できるように。



一人じゃないよ。

私がいる。




生んでくれた、ただそれだけで、

私は今、貴女に感謝したい。




本当にありがとう。