今此処に人あり、おのれ一人で生れた如うに思ひ、驕り傲り、己の智慧をふるまひ、己の芸能を誇り、少しの学を頼りとして、人に誇るの果は、遂に神を知らず知らずの間に、 蔑ろにするに至り、殊に我肉体は、神より我に与へ給ひしものなる事をさとらぬのである。我霊魂は、これ神のわれに給ふたところであり、我目、口、耳、鼻、手足の触れ感ずる、即ち五官の働きは、これ神の我に給ふところであるをさとらぬのである。
真に斯くの如き者は、其不敬の罪を如何にて免るることが出来るであらうか。是故に神の道を守る者は、即ち自らひくくへりくだり、悧巧顏を出さずに只神の御教を仰ぎ、心を神に任せ、以て恩徳を報ひ詫びなければならぬのである。 夫れ斯くの如くなれば、即ち以て神々に仕へ、神心に叶ふことが出来るのである。

『出口王仁三郎全集』第1巻,高木鉄男,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1138033