心細く淋しいといふ感が起るのは、霊性に塞がって居る部分があるのである。囚はれて居るからである。何物にも囚はれない自由豁達な心で居れば 決して淋しいものでは無い。囚はるる心には悪霊がやがて感応して来る。
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あまり小さい事に囚はれて居ると、人間はだんだん心が小さくなって終りには気が変になるやうな事にもなる。囚はれない、執着しない、大きな心に淋しみなんか湧いて来るもので無い。
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霊性の一部が塞って居る人は、霊界物語を読まぬからだ。

出口王仁三郎 [著] ほか『月鏡 : 如是我聞』,第二天声社,昭和5.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1086402