外教の徒の曰ふ、人間の元祖が造物主に背きたる其罪の為に、世界は変じて人間の為に難儀苦労を与ふるやうになり、人性は涜れて智は味み、情は捩れ生れながらにして悪に傾き、今世の幸福のみならず、来世の終りなき幸福をも失ふ可きものとなった。そこで造物主が之を憐み玉ふて、人間の罪を救ふ為に耶蘇基督を降誕せしめられたので、この救世主を信ずるものは救はれる、信じないものは救はれないで、地獄に陥り無限の永苦を受くるなどの邪説妄語を真面目になって唱導して居るは、実に憐然の至ではないか。宇宙の大精神素より至正至直毫も悪無き御方で、その分派たる吾人の始祖も亦悪無きは当然である。裔孫千百中に於て偶悪罪あるものは、悉皆自業自得で、始祖の遺した悪罪では無い。皇典に所謂改言は則ち改過無悪の意味である。人間は造物主より至真至善なる直日の魂を賦与されて居るので、自ら正邪理非曲直を弁知する自省の念所謂良知良能が在って、事に触れ物に接し時々刻々に、過っては悔いたり、或は覚り、或は畏み、或は恥ぢらひつつ、悪を消し善に遷るといふ自然の戒律を、霊魂中に包有して居るから、吾人の始祖も、亦決して裔孫に罪科を遣して子孫を困らしむるといふ如き、道理のあるべき筈は無い。我襟のシラミさへ探し尽せず、白紙一枚を隔て前の見へない様な、不完全なる人間の作為した現行刑法でさへも、父が罪を犯して刑に処せられたからといふて、其子や孫に迄罪を及ぼさないが、法律の精神である。況んや、全智全能にして一視同仁毫も偏頗なき神の、立玉ふたる御制規に於てをや。然るに外教の徒が、斯る根拠も無き知れ切った虚言を、啌とも思はず畏ぢ怖れ、救世主に泣付いて未来の冥罰を免れんとして騒ぎ廻って居るのは、恰も祖先の借りもせぬ金に利子を附けて返済せねば、身代限に成って、其上懲役でもさせられる様に思ふて恐れて居るのと同一で、実に幼稚な愚昧な思想と云はねばならぬ。神眼赫々固より幽顕無く、死生理を一にす、生きても死しても吾人の住む所は大地球の神国なり、神国に生を享けたる最幸福なる我同胞諸士よ、生き乍ら神たらんことを思ひ、仮りにも未来を恐怖せず、既往を顧み現在を慎みて、以て根の国底の国の方へは見向もやらず、勇壮に活潑に立働き、天下国家の富強ならんことを祈るべきなり。
 

『出口王仁三郎全集』第1巻,高木鉄男,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1138033

 

※『啌』は嘘の誤字かもしれませんが、当て字なのか?とも思いそのままにしています。