世人の多くは少しく不如意の逆境に立つや、快々憂欝して遂に世上の総てを悲観し、其極隠世の人となり、社会の廃人となるに至る、夫れ天下は一人の天下に非ずして天下の天下なれば、総ての円満々足を要求するは非望の野心なり。貪欲飽くなき豺狼の心なり。何人も時に多少の不満足を感ぜざるを得ず。否世事の大半は常に予想外なるを定数とし、十を望んで一を得、百を得むとして僅に十乃至廿を得るを限度とす。一小挫折に屈撓して又起つの勇気を喪失し、悲観に陥るは、薄志弱行の徒にして与に談ずるに足らず。宜しく一頓挫に遭遇する毎に愈勇気を鼓舞し『憂き事のなほ此上に積れかし限りある身の力試さむ』の大元気を以て当るべし。徒らに悲観迷想に耽って遁世し廃人となるは、即ち国家無用の人となるを免れず。天の蒸民を生ずる必ず之を有用の材たらしめむが為にして、之に反するは天理に戻り、神の罪人となるものなれば、須らく自己の運命を全然神明に託し、愉々快々嬉々楽観して其職に従事し、生ある間は必ず世を益し人を益する事に勉めざるべからず。我祖先に在し坐す神祇中、何れか悲観し給ひたる。何れも皆天神の命の随々楽観以て国土経営の任に当り給ひたるに非ずや。是を以て神道大本は悲観を排して楽観を主義とす。
『[出口王仁三郎] [著] ほか『水鏡 : 如是我聞』,第二天声社,昭和3.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1086489』
