宗教の異同に依って、人霊の到る天国も違って居る。仏教信者は仏教の団体なる天国へ上り、耶蘇教信者は耶蘇教の団体なる天国へ上り、回々教信者は回々教の団体なる天国へ上り、それ相応の歓喜を摂受して、天国の神業に従事して居る。また神道の信者は神道の団体なる天国に上り、神業に従事して居る。そして神道の中にも種々の派が分れ、各自違った信仰を持って居るものは、又それ相当の団体にあって活動し、歓喜に浴して、天国の生涯を楽しんで居る。

如何なる宗教と雖も、善を賞し悪を憎まない教の無い限り、何れの宗教信者も各自天国へ上り得る資格は在る。併しその教にして充分に徹底したものは、何うしても高き勝れたる天国が開かれてあるから、不徹底にして霊界の消息に暗いやうな宗教の天国は実に最下方にあって、見聞の狭い人間のみの団体が造られてある。現代の○○教や○○教などは、倫理的教理のみに堕して居て、肝腎の霊界の消息を教へない、否霊界の真祖を徹底的に知悉して居ないから、却て中有界に逍遥する人間が多い。

『出口王仁三郎全集』第2巻,高木鉄男,昭和9.国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1138063』
『出口瑞月著『霊の礎』,天声社,大正13.国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/919290』