高天原の天国に住む天人即ち人間の昇天せし霊身人は、地上と同様に夫婦の情交を行ひ、終に霊の子を産んで是を地上にある肉体人の息に交へて人間を産ましめるものである。故に人は神の子、神の宮といふのである。地上は凡て天国の移写であるから、天国に於て天人夫婦が情交を行ひ、霊子を地上に蒔き落す時は、その因縁の深き地上の男女は忽ち霊に感じ情交を為し、胎児を宿すことになる。その胎児は即ち天人の蒔いた霊の子の宿ったものである。その児の善に発達したり悪に落つるのも亦その蒔かれた田畑の良否に依って、幾分かの影響をその児が受るのは止むを得ない。智愚正邪の区別の付くのも止むを得ない。石の上に蒔かれた種子は決して生えない。又瘠土に蒔かれた種子は、肥沃の地に蒔かれた種子に比すれば大変な相違があるものだ。之を思へば人間は造次にも顚沛にも、正しき清き温かき優しき美はしき心を持ち最善の行ひを励まねばならぬ。
『出口王仁三郎全集』第2巻,高木鉄男,昭和9.国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1138063』
『出口瑞月著『霊の礎』,天声社,大正13.国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/919290』
