神様は愛善の徳に満ち給ふが故に、如何なる悪人と雖も罪し給ふ様なことはないが、人間の怨霊位恐ろしいものは無い。故に人間は人間に対し、仮にも恨まれる様な事はしてならぬ。どこまでも愛と善とを以て地上一切に対すべきである。人間の怨霊が、猛獣毒蛇となり、その人に仇を報いたり、或は牛となって恨みの人を突き殺したりして、禍を加ふるのであって、神様が直接に罰を蒙らせらるる様な事は全然ないものである。仁慈無限の神様は、総ての人間が、私利私慾の念より相争ひ、相殺し、恨み恨まれ修羅、餓鬼、畜生道に堕行く惨状を憐れみ給うて、至善至愛の惟神の大道を智慧暗き人間に諭してその苦しみを救はんが為に、神柱をこの地上に降し、誠の道を説かせ給ふのであって、実に有難き大御心である。
『出口王仁三郎[著]ほか『月鏡:如是我聞』,第二天声社,昭和5.11.国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1138015』