1999年有馬のレースで傷めた繋靭帯の治療は放牧に出さず栗東で経過をみることになった。
獣医師の指示、定期的なエコー検査、運動の勧め具合、目標は暮れの有馬記念、その前に1走する。
プール調教がメイン。
脚下に負担がかからず体調の維持に努めながら繋靭帯の回復に期待する。
順調に回復はしていくが元には戻らないのがこの傷。どこまで持つか、耐えるか、綱渡りの状態。
夏を乗りきりプールから坂路調教へ移行し追い切りも坂路のみピッチがあがり京都大賞典が休み明けのレースになる。
やれることはやった感があったがとにかく無事にあがってきてくれ。こんな気持ちでレースに望むのはこの仕事で初めての事。
レースを終えて脚が無事だったことに安堵と同時に欲が出てきた。もう1走持つんじゃないか?
そんな甘くはないと解っていても大丈夫と自分に言い聞かせて調教に跨がる。
調教を進めていく過程で靭帯に熱が持ち始める。ツヨシ痛いなら痛いといってくれ。
最終追い切りを終えて不安をかかえたままの中山入り。
結果は競走中止。
3コーナーから押さえて4コーナーまで流す。
厩務員席から4コーナーまで走って行った記憶がない。でも走って行ったらしい。馬運車に乗り競走馬診療所に行かず厩舎に戻ったのが良かった。
獣医師は駄目と判断したら厩舎には戻らず競走馬診療所にいくから。
ツヨシごめん。
自分のしてきたことがどんなに酷いかこの2000年の1年間はこれからも忘れられない、忘れたいけど忘れさせてくれない。
31歳迄長生きしてくれたけど
あの1年間は本当に酷いことをした。

吉野沙南さん
日の出にあわせてスタンバイ
ありがとうございます。






緑の季節





老いても凛々しい



7月29日
亡くなる3日前
吉野さん
子供達
ツヨシの事本当にありがとうございました。
会員の皆様、応援してくださったすべての皆様、ありがとうございました。ツヨシは幸せでした。
前日まで青草を食べ当日も何時も通り放牧できました。
ありがとうございました。