こんにちは!
昨日のお昼の事。
顔面蒼白で我が子がアパートの共有の庭から帰って来た。
下の階に住むアレシ(ボスニア人 10歳 男児 仮名)に親指をケガさせられて。
突き指のような症状。
手当をした。
あー起こるべくして起こったなとワタシは思った。
10年前に日本からオーストリアへ移住してから住んでいるアパート。
当たり前だけど、移住当初は誰も知り合いがいなくて孤独だった。
2歳になったばかりの我が子を連れて、共有の庭で遊んでも地元オーストリア人の親子とは仲良くなれなかった。
友達作りは諦めようと思った頃、同じアパートに住むフィリピン人のマリー(20歳年上のバツイチのオーストリア人男性と結婚して3人の子持ち)と偶然仲良くなった。
マリーの家族が、近くに新しく建設された集合マンションに引っ越しするまで(2年くらいだったかな)
毎日のようにアパートの共有の庭で遊んだ。
今思い出すと、楽しくて比較的平和なひと時だった。
(時折マリーの摩訶不思議な言動に???となっていたけれど、その時はスルーするしていた。)
ただ、マリーの3人の子供は、我が子と同じ年の子がいなかったので、それだけは少し残念だなと思っていた。
マリー家族が引っ越してから、数か月後、マリー達のフラットにトルコ人家族が入居した。
トルコ人夫婦と一人娘のプリンセッシン。(仮名)
我が子タローと同い年。
それからまた2年後くらいして、ロシア人家族が入居した。
子供が二人いて、その内の一人、アナスタシア(仮名)が我が子と同い年。
プリンセッシンもアナスタシアも我が子と同い年だが、小1の時に留年していて学年は一つ下。
(オーストリアでは普通に留年があります。)
そして、我が家の真下にボスニア人家族が入居した。
一人息子のアレシは、我が子より2個下。
なんと、マリーの第3子、ミカエルとクラスメイトだそう。
おーやっと同い年の子達と遊べるようになったな~とワタシは嬉しかった。
度々起こるケンカや諍いも、子供だから当然起こると思って、大事にしたことはない。
ワタシの子供時代を思い出しても、毎日のようにケンカ、諍いがあった。
(社宅の団地で。約100世帯が暮らす集合住宅で、学年上の子に目を付けられたりとか色々あった。懐かしい昭和時代。 )
ケンカして、仲直して、それなのにまたケンカして。
そこから仲直りの仕方、ある程度自分も折れないと仲直りは難しいことを学んだり、
どうしても無理な時は距離を置く、といったことを学んでいく。
子供はそうやって成長していくものだと思っていた。
数年間、この子たちと我が子とのやり取りを傍観してきたけれど、ワタシがずっと思っていたことは
合わないな
ということ。
人種、性別が異なることを考慮したとしても
合わないんですよ、
性格が。
我が子にアドバイスしたことは、
「相手を変えられるとは思わないで。
合わないなと思ったら、残念だけど離れるしかないんだよ。」
プリンセッシン、アナスタシアとお互い出会ってもガン無視するようになって数か月。
最近はずっとアレシと遊んでいた。
アレシは、偶然にも習っている格闘技のVerein(所属チーム)が同じ。
偶然、同じ日に見学に行っていた。
先日、同じ昇級試験を受けて、同じ級に上がった。
アレシは、我が子を打ち負かしたくてしょうがないのだ。
ワタシは何となく感じていた。
昇級試験の時も、こちらの一挙手一投足を伺ってきていたから。
(ワタシがそろそろ行こうかと我が子に声を掛けて動き出すと、アレシも両親に声を掛けて動くのだ。
試験会場だった初めての体育館に入る際も、先ずワタシ達親子に先に行かせてから続いて入ってくる。)
先日、我が子がぽろっと言った。
子:「アレシがね、毎回庭で遊んでたら、実践しようって言って殴ってくるんだ。
それが嫌で。
ボクはまだ実践は習ってないから、じゃあどうなったらポイントになるのか
ルールを説明してって言ったんだ。
そしたらそれは自分も分からないけどって言ってとにかく殴ってきて
はい、ポイント入った~ 俺の勝ち!ってやってくるから。」
昨日も全く同じ状況になったらしい。
人が通るからじゃまにならないようにと道をあけようと横にずれた我が子めがけて
殴ってきたらしい。
痛がる我が子に、「ごめんね!」ではなく、
「どうだ、オレ、強いだろ~」
その言葉に、我が子はキレた。
もう付き合わないと決めたらしい。
是非、そうしてくれ。
ワタシも疲れたよ、あなたたちのいざこざ話。
同じアパートに住んでいる友達と、一人として友達になれない問題。
ワタシは、至極当然のことと受け止めている。
偶然、親の年収が割と近くて同じアパートに住むことになっただけの事だから。
お互い、別のところで自分に合う人が見つけられたらいいね。
サウロロフス