迫害者サウロのジャズ日誌 -43ページ目
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Baden Powell

ブラジル音楽 ボサノバ バーデン パウエル

Three Original


Baden Powell(g)



1968~1975



有名なギタリスト。

このCDはドイツのレーベル、MPSの録音の中から、三枚を選んでカップリングした2枚組み。リズム感の良さが特徴です。 InvencaoEm7のやさしさ、Samba Tristeの気持ちよいのり、All the things You areの哀愁。

 ギターにおける理想的な形のひとつだと思う。

 カップリングのなかの二枚目のアルバムが試聴できます。サンバトリステ、オール ザ シング ユー アーを聴いてみてください。

 試聴はこちらから

Medeski Martin&Wood

ジャズ メデスキー、マーティン&ウッド
Combustication


medeski martin&wood


John Medeski(key)

Billy Martin(ds)

Curtis Wood(b)


1998



 彼らのブルーノート、メジャーデビュー作。ヒップホップなど今の音楽に親しんできた人に受けると思います。ダンス音楽としてもフロアーで使われたそうです。ジャズ雑誌でも大々的に取り上げられました。ゴールドディスク受賞。

これは輸入版で、日本版はジャケトが違います。

よく作りこまれた作品だと思います。夢中で毎日聴いていました。

ベスト盤の試聴はっこちらから

 

MoonDog

モンドミュージック ムーンドッグ

Moon Dog





 ここまでアルバムの紹介をしてきて、わたしの思い違いがわかりました。ブログの良いところは、生の声で、他では出会えないものに接することができることなんですね。わたしの言葉で、わたしのことを書いていくことの大切さ。


 さて、MoonDogことLouis thomas hardin。ストリートミュージシャン。興味を引くきっかけは、マイルスなどで知られるジャズのレーベル、プレスティッジに、1950年代に3枚のアルバムを残していることから。打楽器のリズム、音色が彼の持ち味。ここではA面をオーケストラをフューチャー,B面ではリズムを生かしながらの、もの静かな男声コーラス。ジャケットに引かれたこともあるが、今は無き、クラブ系音楽のレコード販売店で試聴して迷わず購入。ついでにプレスティッジにおける3枚もついでに。

 このアルバムは残念ながら試聴できないのですが、初期の作品が聴けます。試聴はこちらから

幸せと自由 Mahalia Jackson


In the Upper Room

Mahalia Jackson(vo)


1947~1954


 ゴスペルを聞いていると、キリストに慰めを求めている歌が多い。昔の黒人(アフロアメリカンとよぶべきっだがここではわかりやすく黒人と書かせていただくことをお許しいただきたい。)は奴隷として価値の低いもののように扱われる辛い状況にあった。

 もともとキリスト教は黒人にとって白人から与えられた宗教であった。後に黒人が力を付けてきて、黒人公民権運動が盛んになるとアフリカ回帰思想のひとつとしてイスラム教やヒンデュー教に帰依する人も出てきた。しかし奴隷制度が廃止された後も、長く宗教といえばキリスト教だった。

 奴隷制度が行われていたときは、アフロアメリカンは一切の文化的活動は赦されていなかった。音楽といえば労働するときに皆が歩調を合わせるための労働歌と、教会で歌う讃美歌のみだった。


 ここでマヘリアは{His eyes in a sparrow{「一羽の雀さえ」という讃美歌を歌っている。キリストの山上の説教で、「一羽ではお金にならず、二羽で最小単位の貨幣と取引される雀さえ、神の許しがなければ地に落ちることはない。」という箇所が福音書にある。そこから歌詞が書かれた。歌詩の要約は次のようなものである。

 

 「わたしたち黒人はお金で取引されるような扱いを受けているが、一羽ではお金にすらならない雀さえ目に留めてくださっているのだから、私たちにはなおさらではないか。何を嘆くことがあろうか。私は歌う。なぜなら幸せだから。私は歌う。なぜなら私は自由だから。あー、神様は私を省みてくださっている。」


 喜びの歌である。


もうひとつ、死後の幸福を信じた喜びの歌がある。実存主義的な人から見たらごまかしと写るかもしれないが、これも大きな生きる力になる。来るべき朝のために良いものを積み立てていく。そのために耐えるのだと。苦しみの意味がわからないと耐えるのが辛い。希望を得て、実存主義とはまた違った形で苦難を踏み越えていくことが出来るのだと思う。

 名声を得る前の作品が特に素晴らしいですが、このアポロ時代と同時期であろう作品を聴いてみてください。 

試聴はこちらから

試聴はこちらから

駄目人間 Stan Gets


Sweet Rain


Stan Getz(ts)

Ron Carter(b)

Grady Tate(ds)

Chick Corea(p)


1967


白人テナー奏者。優しさと緊張が溶け合うスマートな演奏


 わたしはあまり映画は見ないのですが「マシニスト」という映画は面白かったです。痩せ行く男の話。いろいろ語りたいことはあるのですが、ただ「良心」の問題を扱っているとだけ書いておきます。


 良心の問題といえばかの有名なドストエフスキーの「罪と罰」があります。そのなかでもマルメラードの葬式の会食の場面がいい。弱く醜い変な人間たちを描いているのですが、何故かまなざしが優しいのです。美しさが垣間見えるというのではなく、弱く醜いとこ、そこにいとおしさをかんじるのです。しかし、逆に美しく強い人を恨みがましく非難をするかというと、そうもしない。善の反対を虚無と捕らえていたからでしょう。

 綿矢りさの「蹴りたい背中」が面白かった男子は「地下生活者の手記」を読んで損はしませんよ。(女性はどういう感想を持つかな)

 このアルバムの試聴はこちらから

死と病 Bill Evans



Sunday at The Village Vanguard


Bill Evans(p)

Scotto Lafaro(b)

Paul Motian(ds)


Waltz for Debbyと同日録音

しかし曲目のせいかこちらのほうが少しアルバムの印象がダーク


 この録音の後すぐ、

 ベースのスコットラファロが交通事故でなくなります。まだ若かった。

 そう、人はいつ死ぬかわからないのですね。

 それが当たり前のように思ってしまいますが。

 

 健康もいつ損なわれるかわかりません。

 わたしは健康だったときが当たり前で、

 苦しんでいるいまが異常のように思ってしまいます。


 しかし、自分の体としては異常でも、

 大きな世界の目で見たら、それは日常なのですね。


 

 長野で農業をやっていたことがあります。

 車の入れない山道2時間くらいの集落。

 いろいろな作物を作っていましたが、キャベツやレタスも有機農法。

 何故か農薬を一切使いません。

 と、どうするか。

 ほっといたら虫に全部食べられてしまいます。

 

 葉っぱの裏から裏まで隅々観て、

 一匹一匹指でつぶしていくのです!

 (ものすごい手間)

 大きいものは器にとって、ニワトリさんの餌に。

 その一匹一匹は、成長すればそれはそれは美しい蝶になります。


 食べるということは、

 肉賞のように相手の身体を奪わない菜食だとしても、

 他の生物との食べ物の取りあいなのですね。

 生とは、死と殺戮なのでしょうか。

 (もちろん科学的だと見えにくいが農薬など更に…)

 

 しかし、ぎすぎすなんてしていないのです。

 自然の中に生命の輝きがまぶしいほど広がっています。
 その中では、

 人間から見て、どんな小さな虫も、有害な生き物も尊厳があり、

 誰もそれを奪えないし奪おうとはしません。

 

 こんな私でも生きることを赦されていること、

 死に時も備えていてくださるでしょうこと、

 それを思い、慰めになります。

 

 このアルバムの試聴はこちらから

和解(10代のわたし)



Green Dolphin Street


Bill Evans(p)

Paul Chambers(b)
Philly Jo Jones(ds)


August 21, 1962



 公園で重い知的障害者の一行と遭遇する。そのとき動揺して目を伏せた。それに対して又、自分の中が動揺した。当初、初めの動揺を差別、否定だと思い、とてもやましく思った。しかし時がたつにつれそうではないと気づいた。それrは単に、知らないモノへの警戒であって、相手に対する否定より、私が否定されるのではないか?という恐れだったと思う。

 同じ感覚を思春期の時に異性や、大人になってから子供に対して持っていた。子供のころから近所づきあいをしていなかった無知ゆえに、私は「地域の善良な市民の皆様」にたこ殴りにされ侮辱されるのではないか?という恐れの感覚があった。それゆえマイノリティー、社会から外れた人、外された人、反社会的な人へのシンパシー共感性を持った。そして「強いものの社会」にたいしてにらみをきかせた。それは弱いものに対する憐れみではなく、自分の存在意義への不安と、「強いもの、美しいもの」に対しての恐れと恨みだったのだろう。私は弱い者、変わった者、有害な者への断絶を否定していながら、返す刀で「強い者」を否定して断絶していた。振られ続けていた恨みがあるのだろう。「有害な私」を否定する「私の恐れる社会」を糾弾するために仲間を欲したといえる。私が彼らを保護し加担するのではなく、私が加担して欲しかった。そういう意味で好意を持って巻き込んだ。彼らに理解を示し権利を声高に主張していたが、実は私j自身の理解を欲し権利を主張していた。当時の私は社会と和解したいと思いながら、とても憎んでいた。私は第三者が必要だったのか。

 このところ皆弱いんだと思うようになった。「強く美しい人」も実は弱く、醜さを抱えれいる。否定されれば苦しいし、責められれば辛い。認めて欲しいし好いて欲しい。あちら側とこちら側ではない。私の非難の目が実は「強く美しい人達」を傷つけてきたのが今にしてわかった。私ばかり非難され冷たい目で見られていると思っていたが実は私も同じ方法でやり返していたのである。

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