まず、我々にとっての世界=人生とは、認識である。

私の言う認識は、意識の有無を問わずすべての脳や身体が知覚する情報のことを指す。

 

 

世界は認識である。なぜなら、我々はどうやっても主観でしか世界を観測することが出来ないからだ。認識しないものはその人の人生に存在しない。人にとっての世界は、認識するから存在するに過ぎない。

認識こそ、この世のすべてを包括する最も大きな概念なのである。

 

よって認識主体によって変わるし、変えられる。

ここから認識の主眼に立って、この世にある概念を説明していこうと思う。

 

 

 

 時間とは:

我々にとっての時間は、脳にある記憶の連なりと未来予測を含めたものを指す。それらは認識によって存在するに過ぎない。

 

 

 

 過去とは:

過去は認識であるから相対的であり、変わりゆくものであるし、変えることが出来る。 

 

 

 

現状とは:

周りを取り囲む情報と自分の脳内のフィードバックを、認識しているに過ぎない。これも認識主体によって変わるし、変えることが出来る。

 

 

 

他者とは:

おそらく認知機能をもつ、認識主体である。つまり、その人もまた主観の世界を持つ。だから、その世界に対して別世界である自分の価値観や理論を押し付けても無意味である。 

 

 

 

幸福とは:

脳内での快感や特定の状態の認識である。これもまた認識にすぎず、変えることが出来る。よっぽどの脳内の機能不全がない限りは、癖を変えることで容易に得ることが出来る。

 

 

 

自己とは:

認識の連続を自己と思っている、これもまた認識である。ゆえに変わるものであり、変えることが出来る。また自己というのは、認識の連続を同一の自分だと思う勘違いでもある。

一晩寝る前の自分と今の自分が同一であることを証明するすべはない。一瞬一瞬の認識があるにすぎず、己という固定された存在があるということは言えない。つまり、一瞬一瞬で別人になることが出来る。

 

 

 

感情とは:

脳の中の伝達物質の変化から始まる細胞の活動の知覚である。つまり、認識である。

 

 

 

このようにすべてのものは認識であり、相対的であり、変わりゆく、実態を持たないものである。しかしながら私たちは現実を歪め、固定したものがあるかのように勘違いを起こしがちである。

私たちは思っている以上に簡単に人生を、世界を変えることが出来る。そう思えたら、人生や、自分像といった勘違いを捨て、世間の価値観といった幻を無視し、己の世界の、より自由な人生を楽しむ第一歩になる。