科学はあるものが客観的に存在するという仮定があって初めて成り立つ。
しかし、龍樹の空の定義は、存在を否定し、さらには存在しないことも否定している。有がないならば、相対的な概念である無もまたないということになるからだ。
この考え方は、科学の系の外側にあるといえる。だからこそ、仏教における空の思想は科学では否定できない。
科学に何でも否定されることに、正しさを指摘されることにうんざりしている人も多いのではないだろうか。
逆にキリスト教哲学などは基本、論理学ベースだからこそ科学に否定され、神の存在を否定される。そして神秘的な要素を取り入れるしかなくなるわけだ。
だからこそゆるぎない信念をもつためにも、否定されず、争うこともない空や縁起の考え方を取り入れてみることをおすすめする。