働きたくない人間がいたとして、それは悪だろうか。
ただ自分の気持ちに素直に生きているだけのその人は、悪だろうか。
私たちはたまたまその気持ちを無視することができるだけで、耐えることができてしまうだけで、
その人には耐えられない苦かもしれない。特性が少し違うだけで、それが罪になるだろうか。
その人は自分を責める必要があるだろうか。
俺はないと思う。ほかの人に耐えられるからといって、その人が耐える必要はない。
だがこの国の憲法には、労働の義務がある。そんなものを残しておくのは、国が率先してそういう人の尊厳を奪っているとも見ることもできる。
今のおれはおそらく人から見たら働きすぎている。だが、同時に働きたくない人の素直な気持ちも理解できる。やりたくないことはやりたくない。当たり前だ。
ただただ、素直な気持ちで俺も今は生きている。自分の気持ちを責める必要はない。素直な自分のその気持ちがあることは間違っていないし、間違っているとしたらそれは周囲の現状や世界のほうだ。
自己責任で、俺は自分を貫き通す。変えるのは現状や、世界だ。自分じゃない。