俺にとって自己中とは、「絶対的に自分がどこか正しいと思っていて、他人に価値観を押し付ける人間」である。



すべてのものは認識するからこそ存在するという立場に立った時、人には人の価値観や認識の集合、すなわち人には人の世界が存在していることになる。



それを仮定するならば、自分の価値観を押しつけるというのは相手の世界を否定することになる。

そして否定されれば否定し返したくなる。これが争いの種になると俺は考える。



お互いの世界があることを認識し、お互いに受け入れることが争いを生まないために大切である。私の世界はそうで、あなたの世界はそうなんだね、と。




別にディベートはあってもいい。お互いの了承の上で、価値観を戦わせることで新しい情報を得る。だがこれと通常のコミュニケーションは分けられれば、争いのないフェアなコミュニケーションになると思う。



別に自分の都合を優先することは自己中とはよばず

至極当然のことだと思う。人にそれを自己中と言われるかどうかは、自分という世界の認識の広さの違いがあるだけだと。もし自分という存在が、個人だけでなく人類や宇宙まで広がっているならより多くの人に配慮ができる。ただその差だろう。