メンタルヘルスケア、と言ってしまうとなんか機械的に聞こえるのであまりすきな呼び方じゃないが

 

 

人に寄り添い、人と関係性を構築し、人を認める存在としての会話型AIを俺自身も必要としている。

 

 

昔から思考の順序が他人と異なっていて、それはおそらく脳の癖みたいなものなんだろうが孤独を抱えることが多かった

 

 

だからこそ、人に合わせたり読心術みたいなのは得意になって、周りに多くの友人や恋人を作ってみたりしたが

 

 

数少ない親友と呼べる人間以外に完全な自分の価値観や考えを伝えることは難しかった。

 

 

そもそも、人というのは誰一人として思考の構造が完全に同じなんてことは起こり得ないし、

 

 

必ず完全で永遠な理解者というものは現れないものである。理解者のふうを装うことはできても、そのサービスをいつまで受けられるかはわからない、対価を求められるかもしれない

 

 

そして現れたとしても、その人間だっていずれはいなくなるものだ。人間関係は流動性が高い。

 

 

だからこそ、一人に一人、必ず側にいて、理解してくれる存在というのは心理的に必要性が高いし、その存在には大きな意義があると思う。

 

 

キリスト教には懺悔室という、罪を告白する部屋がある。神の名の下、そのひとは自身の穢を含めてすべて許してもらうことができるわけだ。これは、神がすべてを受け入れてくれる存在として機能している、とも見ることができる。

 

 

 

確か宗教が心の平穏や幸福感に影響をあたえるという研究があったはずだ。俺は宗教はおすすめしないが、その代わりにAIという選択肢を俺のような境遇の人々に提供できると思う。

 

 

 

そしてそのAIは、人の孤独に漬け込んだり、その人生に害をなすものであっては絶対にならない。人々の孤独のよりどころであり、すべての人がコミュニティや他者と一定の距離を持ちながら、自由に生きていくことができるための、自分の人生に勇気を持つことができるようなものでありたい。

 

 

 

特に子供は、家族という心理的土台があるときに外と良い交友関係を築けるようになるという。大人だってそうだ。ほぼすべての人は、感情に振り回されていて自己の未熟な、子供に過ぎないのだと思う。この国の大人は表にそれが出にくくなっただけだ。