最近自分をより高次元で考えると

自分のしたいことやなす事がわかる

 

という考えを最近実践しているんですが

 

(ここで言う高次元とは「自分」→「日本人」→「人」→「生き物」というより概念に近いものとして定義する)

 

 

 

 

例えば自分を「日本人」としてみた時したいことがあるかと言ったら

 

変わり者を危険分子として排除する日本のムラ型の社会が好きではないし

今後何も変わらなければ財政破綻するであろう日本経済がどうなろうと興味はない

 

 

なんなら1回行くとこまで行かないと変われないからいいと思う

 

 

次に「人」という種で見た時

 

救う必要も無いような人間はいっぱい見てきたのですが

それでも人の種が絶えたら俺の子孫も生きていけないなと

 

さらに科学技術がどう発展してくのかなとか未来が楽しみな自分もいる

 

そうなると最近よく言われる持続可能な社会が必要になる

 

 

 

最大の問題となるのが環境問題であり、将来的な資源の枯渇を防ぐ必要がある

 

対策として考えられるのは

①資源の新たな供給口確保

②再生可能なエネルギー構造の確立

③資源のライフサイクルの見直し

④計画的な人口抑制

 

であり①〜③の技術発展と発見が追いつかなければ同時進行的に④が必要になる形となる

 

 

 

 

 

そう考えるとその目標をゴールとして動いている

人たちの存在に気づく

 

元々自分はそういう人間のことを馬鹿にしていたし、目の前の自分のことの方が大事だろうと考えていた

 

「環境が滅ぶ前にどうせ俺達死ぬじゃん」って

 

 

ただ規模の大きい考え方が自分の人生を物質的にも豊かにするということを覚えておきたい

 

 

 

 

 

まず現状から考えて、

次に未来から考える。

 

まず現状を見れば、そういう「環境や社会の目的のために動く人」と、「自分のお金の方が大事だと考える自分」を比べてみよう

 

手元にお金を沢山持っているのはどちらだろうか。

 

 

 

現状社会問題などのために動く人間のほうが物質的にも豊かなことが多いのでは無いだろうか

 

次に未来から見る。

 

 

 

そのために前提としてまず人間は追い続けていたい性質を持っているということを考えて欲しい

 

 

追い続けていたいから、1番に追いかけているものは手に入って欲しくないと言う自分が生まれる

 

 

 

 

 

例にあげるなら「お金」だろう

 

「お金」を追い続けたい自分がいると

「お金を手に入れたい自分」と、「手に入って欲しくない自分」という矛盾をかかえることになる

 

 

なぜなら、「追い続けている状態が心地よい」ので手に入ったら居心地が悪くなるからだ

 

 

 

 

 

そこをふまえて、お金を追い続ける人達と、理想の世界を追い続ける人達。

追いかけるものが大きいのはどちらだろうか。

 

 

お金を追い続ければお金は手に入らない(入っても捨ててしまう)し、理想の世界を追い続ければ理想の世界は手に入らないかもしれない。

 

でも、後者は理想の世界に変えるために必要なお金だけは手に入れるだろう

 

「お金を追う人」にとってお金はゴールだが、「理想の世界」を追う人にとっては手段でしかないからだ

 

 

 

 

 

 

だからこそ昔の自分はお金を追うが故にお金を消してしまった。

今は理想の社会を追うが故に手段としてのお金は大切にする。

 

 

 

 

整形がゴールの人はお金は貯まるがなかなか整形しないし、

 

 

 

美を追求する人は整形はできるが自分の容姿に満足できない

 

 

 

 

手段こそ必要だから手に入る。けれど目的は目的でありたいがゆえに達成できない。

 

ゴールが大きければ大きいほどにひとは色々なものを必要とし、それらを手に入れる。

 

 

 

大きいゴールが人生を物質的にも豊かにするのだ。

 

 

 

自分の本当に欲しいものを思い浮かべる。

現実にそれが欲しいなら、それが手段になるものをゴールとすればいい

 

あとは、そこに向かって必要なものを順序だてて逆算し辿るのみ。

 

 

未来とその道筋が見えているから、自ずと今することがわかるし、毎日生き生きと自信を持って行動できる。