チェンソーマンを読んだ。アクションとエログロが売りの漫画だが、魅力はそれだけじゃない。他の漫画にはない性格をした主人公にあると感じた。




主人公の思想は至ってシンプル。美味しい飯(しかも唯のジャムを塗った食パンという質素さ)を食べて女の子とセックスすることが夢の、健全な男の子。頭は良くないし、小難しいことは嫌い。彼女だって本当はいけないけど何人も欲しい。そんなことを大きな声で言えてしまうような性格をしている。




欲望に忠実。主人公のキャラクターとしてありがちな小難しい、人間としては立派な思想なんて持ち合わせちゃいない。人からのみてくれを気にしたような偉そうなことも言わない。仲間が大事だとか愛だとかそんなのも分からない、そんな主人公に惹かれて気づけば全巻読破していた。




気づいてしまった。人間の素に近いなって。素の俺もこんな感じだよな、と。自分に正直になってない自分に気付けた。近年の流行りは自分に正直なキャラクターが多い。インターネットで日々流れてくる他人の意見、客観的な批判などを毎日浴びた結果社会の生きづらさに、コンプライアンスの多さに窮屈さを感じている人達が多いのだろう。




この漫画もまた、そんな閉塞感に一石を投じる作品の一つであろう。アレン様をご存知だろうか。自分に正直な性格をした彼もその部類だと考える。最近の世の中は「やってはいけないこと、こうあるべき」が多すぎてみんな疲れてしまった。世の大衆はもう、何が正しくて間違ってるかなんてもう人に決められたくないのだろう。




何が正しくて何が間違ってるかは自分が決める。世の意見や、親の意見など気にしなくたっていい。その結果起こることは自分の責任だけれど、責任だって逃げたいなら逃げればいい。自分のためなら責任をとればいいし、世間サマのためなんかで責任なんか取らなくたっていい。




今の俺はどうだろうか。美味しいご飯(ジャムを塗ったパン)も食べられるし、ひとから見たら不自由かもだけど自分では不自由はしてない。だって生きてるし。過酷な環境とか複雑な事情とか考えなくたっていい。未来のことは自分でそれなりに考えて行動してるからそれでいい。仕事に熱中するは好きだ。品とか道徳とか知らない。どっちも最低限は持ってるし。片付けとかも出来ないからどうでもいい。したいようにしたい、自分の人生。小難しいことは考えなくなって俺は上手くやれるから大丈夫。馬鹿だけど頭は良いから。