心の中に留めて置けるほど、心に余裕がなくなってきたので、簡単な日々のモヤモヤをここに書いていこうと思っている。愚痴はきらいなのか?それならごめんです。続けられる時だけ無理せずね。

 

今日はいろいろの部署の人と未来の会社の有り様についての意見交換の場であった。定期的に行っていて分かってきたことは、意見を言わない人は自分ごとではないことだ。特に自部署の上長は様子見しているのが目立つ。ただ、それは一方的な視点であって、論点が曖昧なところになんの根拠も持たずに空想だけを述べるのが嫌いなのかもしれない。それは確かにそう。

私に視座を合わせてくれているのか、そうでないのかはわからない。

人当たりがよく無害だが、求心力がない。そうありたいとは思わないのかもしれないね。人生いろいろ、人それぞれだから。しかし、私はこの部署では不安がまさってしょうがない。

 

明確な個人のビジョンを持って動くのは心が安定できると思うことがある。平社員の身近な例としては、「私は技術の立場として、このプロジェクトの〇〇の部分をデータから支援する。だから、□□はお願いします。」などだ。別にリーダーでなくてもやることが明快なのはありがたいことだ。自分が何者なのかを理解できる環境にいられるのはとても良い。

 

しかし、もっと経営に関わるところの、大きなビジョンになると難しい。これは、この会社が将来どうなりたいか・ありたいかを個人的根拠に基づいた論理展開する必要がある。会社でも設立させる勢いがないと難しい。なぜなら会社は既にあるから。この会社がどうありたいかなんて知らない、決めてくれ。って皆が思うのだろう。だからこそ、自分ごとにできるリーダーが必要なのだ。今のメンバーでは絶対にできないよ。一人一人廊下に立たせて腹の底から意見を述べさせた方がまだマシだねって思うくらい何も進まない。

 

進まないから愚行だと決めつけるわけにはいかないが、やはり鍛えられた頭で知識を絞り出すのがよかろうもん。ない頭つかって考えろよ馬鹿野郎がと言えるくらい真剣に取り組める人々でないときつい。かなり。

 

積極的に他社と混じり合い、意見交換している人がいるのだけど、その人が一番頼りになるかもしれないと思ってしまうくらいに不安。最初の方は皆から冷たい意見を聞いていたが、そんなことないと思うってずっと思っていた。なぜなら、その人はビジョンが明確でやりたいことが決まっていたから。自分が何者かよくわかっている。

皆が冷たかったのは、実はそうなりたいと思っているのではないか、羨ましいだけなのではないか、と思うのだ。

 

まもなくこの会社は終わる。だから次に行こうと思うのだ。